2018年07月15日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第99回「使徒言行録26章19〜23節」
(14/11/16)(その1)

19〜23節「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背か
ず、ダマスコにいる人々を始めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、
そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行い
をするようにと伝えました。そのためにユダヤ人たちは、神殿の境内にいた私
を捕らえて殺そうとしたのです。ところで、私は神からの助けを今日までいた
だいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者
たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つ
まり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民に
も異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」

 久しぶりの、本当に久しぶりの講解説教ですので、丁寧な、かなり丁寧な復
習をもって始めねばなりません。
 とは言え、使徒言行録の最初から復習をしているわけにはいきませんから、
(それが必要な方もいらっしゃるかも知れませんが)、今の場面に直接関係す
るところから始めることといたしましょう。
 騒乱罪ないしは騒乱誘発罪で逮捕され、裁判を受けているパウロです。ユダ
ヤ人に対して「弱み」を持つ総督フェリクスの許では放っておかれましたが、
替わって総督に就任したフェストゥスの代になって、上訴が認められ、カイサ
リアでローマ護送の時を待っています。
 フェストゥスは、自分で裁判をする権利を放棄したのですから、ローマへパ
ウロを護送するのが彼の唯一の仕事であって、フェストゥスには、パウロを未
決囚として取り扱う資格も権限もありません。「パウロ様、無事にローマまで、
行ってくださいまし。」というのが、フェストゥスが唯一パウロにかけられる
言葉です。
 なのに、偉そうに、パウロを「政治ショー」に引き出して、見世物にした、
というのが、現在の場面です。
 フェストゥスの相手は、アグリッパ王とユダヤのお歴々です。フェストゥス
は、ユダヤ人から敵視されているパウロを引き出すことによって、ユダヤ人の
面子を立てました。しかし、もう一方で、裁判をきちんとしてもいないくせに
「パウロは無罪である」と宣言することによって、ユダヤ人に「言う通りには
ならないぞ」と脅し、ブラフをかけたのです。
 アグリッパ王はこの脅しにどのように対応したのでしょうか。何と、フェス
トゥスにすり寄ったのです。それで、ユダヤ人にとっては天敵であるはずのパ
ウロに、ユダヤ人の王という立場にありながら、あくまでも「立場にありなが
ら」ですが、パウロの言い分を聞く、というスタンスをとったのです。
 よって、パウロのここでのお話は、パウロもその辺の事情は、頭のいい人で
すから、十分に察知していたと思われますので、自己保身のためにすり寄って
来たアグリッパ王への説得、と言うことができます。決して、裁判の弁明など
ではありません。皆様もそのことを十分にご承知おきください。
 とは言え、内容的には、9:1〜19でパウロの体験として起こったことが、
つまり回心体験が、22章1〜21でユダヤ人に語ったと同じように、「回心前」、
「回心」、「回心後」の三部構成できちんと述べられています。
 表現は違っていても、その中身に9章、22章との違いはありません。しかし、
今まで第一部「回心前」、第二部「回心」を読んできて、第一部においては、
ユダヤ社会ではマージナルマンであるアグリッパ王への配慮が、そして第二部
では、教会の将来への展望がなされていることをわたしたちは見逃してはなり
ません。
 第一部では、「律法」と言う言葉が一切使われておりませんでした。これは
「なりあがり」ユダヤ教徒で、律法違反を繰り返しているアグリッパ王も救い
の対象から漏れてはいない、というメッセージを伝えるためと思われます。
 第二部では、「回心」によってパウロに与えられた使命が述べられています
が、それが「ヒュペーレテース」すなわち「奉仕者」としての使命も与えられ
た、と述べられていることに注目する必要があります。「牧師」として、「伝
道者」として、「福音」を告げ知らせることこそ、パウロの究極の使命なので
す。

(この項、続く)



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