2018年07月08日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第98回「使徒言行録26章12〜18節」
(14/10/19)(その2)
(承前)

 これは一体どうしたことなのでしょうか。それは、この出来事自体が疑われ
る、といったことではなく、思い出し、再解釈された事であろうか、と思われ
ます。「天からの声」は、パウロにとっても、使徒言行録の著者ルカにとって
も確固たる出来事なのです。そして、実に内容豊かな出来事なのです。ここで
は、その「天からの声」が、本来は難しいものなのではなく、すべてのユダヤ
人に分かるはずのものであることが、示されているのです。もちろん、アグ
リッパ王にも、そしてギリシアの格言が含まれていたということのゆえに、異
邦人にも分かるものであることが示されるのです。
 さて、16〜18節までの召命、使命の付与の部分、内容的には、9章、22章と
変わりません。しかし、形式がずいぶん異なります。9章では、アナニアを通
してパウロに使命が与えられました。22章では、それに加えて、パウロは神殿
で祈っている時にも使命が与えられました。
 この点につきましても、「一体どれが本当なの? そもそもこの話自体が作
り話なのではないの?」ではなく、実際には、アナニアを通して、あるいは神
殿での祈りを通して与えられた使命であったとしても、それが、実は「イエス
自身から与えられた」使命であった、という再解釈である、と考えられるので
す。
 とは言え、ここでパウロに示された使命については、内容的にも、9章、
22章よりは深められている部分もありますので、その点注目してまいりましょう。
 パウロが、イエスの復活の証人であることは、たとえ「月足らず(コリント
一15:8)」であるとはいえ、確かなことです。そして、そのことは、9章で
も22章でも触れられていました。
 しかし、ここで触れられているパウロの使命はそれだけではありません。
「奉仕者」としての使命も付け加えられているのです。「奉仕者」とは何で
しょうか。「奉仕者」、原語は「ヒュペーレテース」は、本来は「召使い」
の意味の語です。しかし、新約聖書で3回だけ、「助手」の意味で用いられ
ており、その3回とも、「御言葉に仕える」すなわち、「牧師」の意味で用
いられているのです。
 神の国の教会は、ペンテコステにてユダヤ人の間で形成され、パウロの異
邦人伝道によって、初めての異邦人教会が形成された、というのが「現在」
の状況です。しかし、パウロには、キリストの復活の証人という、使徒の使
命だけでなく、これからの時代を担う教会の「牧師」としての使命も実は付
与されていた、というのがこの16節の主旨です。
 17節においては、「わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、
彼らのもとに遣わす。」と述べられていますが、これは、パウロがユダヤ人
であることを鑑みると、事実と反するようにも思えます。しかし、この「救
い出し」と訳されている語、「エクサイレオー」は、「選び出す」と「救い
出す」とのダブルミーニングの語であり、神がパウロをユダヤ人の間から
「救い出す」と同時に、すべての民の教会の奉仕者として「選び出し」た出
来事を指している、と言えます。
 パウロの使命は、キリストの復活の証人であることに止まらず、教会の指
導者としての使命にまで及んでいたのです。
 18節は、9章や22章では全く触れられていなかったことが述べられていま
す。「彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、
こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた
人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるため」とは、まさに異邦人伝
道の使命です。異邦人とは、そもそも神を知らぬ人のことであり、それゆえ、
闇、そしてサタンの支配の下に生きざるを得なかったのです。
 私たちも異邦人の一人ですが、この教会を通して与えられる恵みに豊かに
あずかる者とされたいものです。

(この項、完)



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