2018年06月24日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第97回「使徒言行録26章1〜11節」
(14/10/12)(その3)
(承前)
パウロの弁論ないしは弁明は、使徒言行録では、これで四回目です。一回目
は使徒言行録17:22-31、アテネでギリシア人に対してなした弁明でした。二回
目は、22:1〜21、逮捕後、エルサレム神殿でユダヤ人に向かっての弁明でし
た。三回目は、24:10〜21、総督フェリクスの前での弁明です。そして、今回、
アグリッパ王の前での弁明で、四回目となるのです。
一回目のアテネでギリシア人に対してなした弁明は、律法も、いやユダヤ教
そのものを知らないアテネのギリシア人に対するものですから別格として、パ
ウロがユダヤ人に対して弁明する時は、必ず、自分がユダヤ教徒であって、し
かも律法を忠実に守ってきたことを誇らかに述べてきました(22:3)。フェリ
クスに対する弁明においても、自分がユダヤ教徒として律法を守ってきた、と
いう立場を明らかにしています(24:14)。
ところが、このアグリッパ王に対する弁明においては、ユダヤ教徒であった
ことは明らかにしつつも、自分が律法を忠実に守ってきたことは一切述べてい
ないのです。
私たちは、まず、このことに注目しなければなりません。
なぜなのでしょうか。
それは、パウロの側に問題があったからなのではなく、アグリッパ王の側に
問題があったからなのです。
アグリッパ王は、一応ユダヤ人ですし、割礼も受けています。ですから、パ
ウロは「王は、ユダヤ人の慣習も論争点もみなよくご存知だからです。」と
言っているのです。しかし、「律法をよくご存知で」とは言っていないのです。
アグリッパ王が知っているのは、「慣習」であって「律法」ではないのです。
「慣習」の原語は、「エトス」、「精神」という意味です。つまり、パウロは、
アグリッパ王は、ユダヤ人の考え方は、知っているかもしれない、しかし、律
法は分かっていないし、きちんと守っていない、と言っているのです。
ヘロデ家は、実は、生粋のユダヤ人ではなく、マージナルマン、外れ者でし
た。
ヘロデ大王の父、アンティパテルは、イドマヤの出身で、実は異邦人だった
のです。ユダヤの王となるために、ユダヤ人になろう、なろう、としてきまし
たが、実はなりきれていなかったのです。ヘロデ家の人たちは、ザアカイのよ
うに、実はユダヤ人から、おおっぴらには言いませんが、軽蔑されていたので
す。
ヘロデ・アグリッパU世が、律法に関心がなく、自由な道を歩んでいたのは、
ユダヤ教の立場からすると、自分たちには、律法によって救いに至る道がない、
ということに勘づいていたからかもしれません。
ヘロデ家は異邦人、しかもユダヤ人になりきれない異邦人という、非常に微
妙な立場にいたのです。
さて、この、王として一応持ち上げられてはいますが、実はユダヤ教の救い
から漏れているとされるアグリッパ王にパウロは、どう対応するのでしょうか。
弁論をずっと見ていきまして、今日のところで、今までの弁論では触れられ
てこなかったことがもう一つ述べられています。
それは、8節、「神が死者を復活させてくださるということを、あなたがた
はなぜ信じがたいとお考えになるのでしょうか。」です。
あまりにもストレートにイエスの復活について触れているので、学者の中に
は、「間違ってここに入れられたのではないか」という人もいますが、そうで
はなく、こここそ、パウロがアグリッパ王に伝えたかったところです。
ユダヤ教の救いから漏れた者にこそ、律法にはよらない、イエスの復活に与
ることによる救いの恵みが行き届くのです。
フェストゥスとアグリッパ王は、パウロをダシにして、政治的駆け引きをし
ているつもりでした。しかし、パウロは、逆に、そして実は、アグリッパ王を
ダシにして、ユダヤ教徒の落ちこぼれにも行き届く、異邦人伝道のメッセージ
を伝えてしまったのです。
この後、弁論がどのように展開するのか、そして、アグリッパ王がどのよう
に答えるのか、は次回以降に触れてまいりましょう。
(この項、完)
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