2018年06月17日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第97回「使徒言行録26章1〜11節」
(14/10/12)(その2)
(承前)

 そこで、司会を任されたヘロデ・アグリッパが何を言うかと思ったら、パウ
ロに「お前は自分のことを話してよい」と言って、そしてそこで、パウロのア
グリッパ王の前での「弁明」なるものが始まるわけです。「お前は自分のこと
を話してよい」と言うと、ずいぶんぞんざいな言い方であるかのようですが、
これはむしろ翻訳の問題でして、「あなたは御自分のことをお話になられても
よろしいですよ」というニュアンスであったかもしれないのです。
 しかし、アグリッパ王はなぜここでパウロに対して傾聴の姿勢に入ったので
しょうか。ルカは、この場面を見て、あるいは聞き伝えられて、フェストゥス
とヘロデ・アグリッパの密談場面を推測したのかもしれません。が、ここは、
ルカの考えるような、純粋な興味ではないのではないでしょうか。
 ヘロデ・アグリッパU世、これが父親のヘロデ・アグリッパT世と区別して
の彼の正式の名ですが、ローマに滞在し、クラウディウス帝のところで、家で?
育てられました。そのためか、ユダヤ人でありつつも、自由な考えを持ってい
たようです。
 もちろん、すでに述べたように、神殿の犠牲の行事の見物を、食事時の楽し
みにするといった、失礼な、いや冒涜的な側面もあったことも確かですが、思
想的に自由であったことも確かです。
 大祭司アナノスが、律法違反のカドで、主の兄弟ヤコブを殺してしまったと
きも、アグリッパU世は、この事件の後、大祭司アナノスの行為をとがめ、わ
ずか3カ月で、大祭司アナノスを解任してしまいました。ユダヤ教徒の過激な
行為を認めず、むしろ、キリスト教を弾圧した大祭司を罰したのです。
 しかし、あまりにも自由すぎて、レビ族の要求に屈して、神殿で聖歌を歌う
聖歌隊にもリンネルの服の着用を許可してしまい、この点については、ヨセフ
スにも「こういった律法違反が、神の怒りを買い、ユダヤ戦争という神の罰を
もって罰せられることとなってしまった」と断じられています。
 以上が、ヨセフスの古代誌から読み取れるアグリッパU世の人となりなので
すが、だとすると、ここで、アグリッパU世はフェストゥスの挑発に対し、普
通のユダヤ人だったら、反発したり、怒ったりするところ、むしろ、フェス
トゥスにすり寄った、と考えられます。明らかにローマ側に着いたのです。
 思いもかけず、アグリッパ王の前で、証しをする機会を与えられたパウロは、
アグリッパ王のこのスタンスを十分承知の上で、弁明を始めました。と少なく
ともルカは描いています。
 それではその内容を見ていくことといたしましょう。

2〜11節「『アグリッパ王よ、私がユダヤ人たちに訴えられていることすべて
について、今日、王の前で弁明させていただけるのは幸いであると思います。
王は、ユダヤ人の慣習も論争点もみなよくご存知だからです。それで、どうか
忍耐をもって、私の申すことを聞いてくださるように、お願いいたします。さ
て、私の若いころからの生活が、同胞の間であれ、またエルサレムの中であれ、
最初のころからどうであったかは、ユダヤ人ならだれでも知っています。彼ら
は以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中でいちばん厳格
な派である、ファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言
しようと思えば、証言できるのです。今、私がここに立って裁判を受けている
のは、神が私たちの先祖お与えになった約束の実現に、望みをかけているから
です。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現される
ことを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているがために、ユダヤ人か
ら訴えられているのです。神が死者を復活させてくださるということを、あな
たがたはなぜ信じがたいとお考えになるのでしょうか。実は、私自身も、あの
ナザレ人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それを
エルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる
者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意思表示をしたのです。
また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒涜するように強
制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたの
です。』」

 パウロの弁論はまだまだ続きますが、この弁論に対するパウロのスタンスが
今日のところで明らかにされていますので、その点に注目してまいりましょう。

(この項、続く)



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