2018年06月10日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第96回「使徒言行録25章23〜27節」
(14/10/5)(その3)
(承前)

25節「しかし、彼が死罪に相当するようなことは何もしていないということが、
わたしには分かりました。ところが、この者自身が皇帝陛下に上訴したので、
護送することに決定しました。」

 この節が大事です。本来、上訴した者を下級審の裁判長が引き出すことはで
きません。にもかかわらず、「引き出す(23節)」ことによって晒し者にして、
ユダヤ人への一定の配慮を示したと考えられます。しかし、無罪の判断を下し
たことを宣言しました。「自分はユダヤ人の言う通りにはならないぞ」とユダ
ヤ人を威嚇したのです。特にアグリッパ王とその姉妹ベルニケを威嚇したので
す。
 ヘロデ・アグリッパU世は、これ以後、総督フェストゥスと友達関係を保と
うとしたら、親ローマ路線以外の選択肢はなくなっていったのではないでしょう
か。
 総督フェストゥスは、パウロの信仰に関心があったのではなく、パウロを政
治的に利用したのです。

最後に26〜27節です。「しかし、この者について確実なことは、何も陛下に書
き送ることができません。そこで、諸君の前に、特にアグリッパ王、貴下の前
に彼を引き出しました。よく取り調べてから、何か書き送るようにしたいので
す。囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わないと、わたしに
は思われるからです。」

 この二節は意味不明な節です。なぜなら、ローマの法制度では、上訴した者
に対して下級審がレポートを送る、という制度はなかったし、実際総督フェス
トゥスがレポートを送った事実は、気配さえもないからです。
 なぜ、総督フェストゥスはこのようなことを言ったのでしょうか。それは、
確言はできませんが、これまでの流れからすると、総督フェストゥスは、自分
がローマの法制度をきちんと守っているかのように見せて、実はこれからはユ
ダヤをローマの方法で支配するぞ、と威嚇したのではないでしょうか。
 「政治ショー」には、必ず隠れた意図があります。ユダヤ戦争が近づく中、
ローマとユダヤは激しいやり取りを行っていたのです。
 この荒波の中で、パウロは、キリスト教は翻弄されております。そして無力
です。しかし、それでも、きちんとキリストを証ししていけるように、主は導
いてくださったのです。それを次回以降学んでまいりましょう。

(この項、完)


第97回「使徒言行録26章1〜11節」
(14/10/12)(その1)

1節「アグリッパはパウロに「お前は自分のことを話してよい」と言った。そ
こで、パウロは手を差し伸べて弁明した。」

 今日はいよいよ、パウロと、アグリッパ王とその姉妹ベルニケとの謁見の中
身に入ります。
 先週も申し上げましたように、パウロがこの場面の中心人物である、と考え
るのは、ルカのひいき目でございまして、実は、ユダヤ人にとっては「国賊」
であるところのパウロをダシにして、ローマとユダヤの、フェストゥスとヘロ
デ・アグリッパとの間の政治ショー、丁々発止のやり取りが交わされている場
面なのであります。
 本来、皇帝に上訴した囚人を総督は引き出すことはできません。それをあえ
てやって、つまり、ユダヤの「国賊」パウロを晒し者にして、フェストゥスは、
ユダヤ人たちを喜ばせました。
 しかし、それにも拘わらず、フェストゥスは、パウロは無罪だ、と宣言し、
無罪判決が出ていないにも拘わらず、「自分はユダヤ人の思惑通りにはならな
いぞ」と宣告いたします。
 更に、ヘロデ・アグリッパにパウロを謁見させた理由について、「よく取り
調べてから、何か書き送るようにしたいのです。囚人を護送するのに、その罪
状を示さないのは理に合わない」とウソを言い、この謁見がローマの法制度に
基づくものであるかのように誇示したのです。
 要するに、フェストゥスは、「国賊」パウロを使って、ユダヤ人に対して、
「譲る」「締める」の往復運動をやってユダヤ人を揺さぶっているのです。
フェストゥスにとっては、さぞかし楽しいことでしょう。
 で、次は、「譲る」の番です。で、どうしたかと言うと、ここで司会をヘロ
デ・アグリッパに譲って、立ててやったのです。賓客にとりしきらせて、おだ
てる、これは私たちもよく使う手立てですよね。

(この項、続く)



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