2018年06月03日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第96回「使徒言行録25章23〜27節」
(14/10/5)(その2)
(承前)

 まして、マスコミなどない時代のことですから、総督フェストゥスとアグ
リッパ王とその姉妹ベルニケとの間で交わされた会話はだれにもわからない。
ひょっとしたら、今日の夕食のおかずの話に過ぎなかったのかもしれないので
す。
 そこで、ルカが宗教の話だった、と推測するのは自由なのですが、実は宗教
の話ではなかったのではないか、という疑問がある、ということを、私は前回
申し上げたのです。
 なぜ、そのようなことが言えるか、と申しますと、聖書外資料、ヨセフスな
どによって伝えられるこの人たちの行動、そしてそこから分かる傾向性です。
 この人たちは、宗教行事さえ、自分たちの楽しみの対象としてしか見ていま
せん。せめて譲って、自分の関心からしか見ていません。また、ユダヤ民族に
対する特別の思い入れもありません。根拠は前回丁寧にお話ししました。
 ゆえに、この密談の内容は、ルカの創作とまでは言えないかもしれないけれ
ど、希望的観測に過ぎない、というのが、前回私が申し上げたことです。
 さて、そこまでいいですか。
こうして、実は何が何だかわからない密談ですが、パウロと、アグリッパ王と
その姉妹ベルニケとの謁見そのものは実現しました。これは、ルカの伝える事
実です。だとすると、この謁見の本当の目的は何だったのか、そのあたりも自
ずと明らかとなることでしょう。順に後を追って見ていくことといたしましょう。

23節「翌日、アグリッパとベルニケが盛装して到着し、千人隊長たちや町のお
もだった人々と共に謁見室に入ると、フェストゥスの命令でパウロが引き出さ
れた。」

 総督フェストゥスとアグリッパ王とその姉妹ベルニケとの間でどのような密
談がなされたかは、全く分かりませんけれども、とにもかくにも、アグリッパ
王とその姉妹ベルニケとパウロとの謁見は設定されました。
 二人は「盛装して」登場しました。「盛装」と訳されている原語は、「ファ
ンタシア」で、「パレード」とか、「ショー」とか「虚飾」といった意味です。
そして、ここには、その二人だけでなく、「千人隊長たちや町のおもだった
人々」も呼ばれ、この「千人隊長」は明らかに「リシア(23:26)」とは別人
ですが、この謁見が、「折り入って、しんみりとパウロの話を聞きたい」と
いったたぐいのものではなく、「政治ショー」とし行われたことが明らかなの
です。
 それでは、総督フェストゥスは、何の目的でこのような「政治ショー」を企
画したのでしょうか。

24節「そこで、フェストゥスは言った。『アグリッパ王、ならびに列席の諸君、
この男を御覧なさい。ユダヤ人がこぞってもう生かしておくべきではないと叫
び、エルサレムでもこの地でも私に訴え出ているのは、この男のことです。』」

 フェストゥスはここでパウロの紹介をしました。しかし、この紹介は大いに
問題があるのです。
 皆さまよくご存知の通り、パウロ裁判は、騒乱罪ないしは騒乱誘発罪に対す
る裁判として始まりました。しかし、パウロにはその事実はありませんでした。
 しかし、この事件の背景に、ユダヤ教とパウロとの違い、対立があったこと
は確かです。ですから、著者ルカが、一連の裁判を、ユダヤ教当局者によるパ
ウロに対する訴え、と捉えてもおかしくはありませんし、間違いとは言い切れ
ません。よって、ルカの作文である、総督フェストゥスとアグリッパ王とその
姉妹ベルニケとの密談においては、フェストゥスの口を借りて、ルカは「祭司
長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要
求した」と言っているのです。
 しかし、総督フェストゥスは、この事件を宗教対立とは見ていませんでした。
その本音が、式典の場でぽろっと表明されました。総督フェストゥスは、パウ
ロを「ユダヤ人がこぞってもう生かしておくべきではないと叫」んでいる人物、
すなわち「国賊」として捉えていたのです。もし「国賊」だとしたら、いや正
確に言えば「国賊」と見られてしまったとしたら、抹殺されるしか、道はあり
ません。恐しいことです。今の日本を見ると、とてもよく分かります。
 もし、総督フェストゥスがユダヤ人に媚びるだけの人物だったとしたら、理
由はどうでもいいんです。ともかく、パウロを抹殺したことでしょう。
しかし、…

(この項、続く)


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