2018年04月22日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第93回「使徒言行録25章1〜5節」
(14/9/14)(その2)
(承前)

 その懸案とは何か? ルカはパウロ問題であったかのように書いています。
これは、明らかにルカの身びいきでしょう。ルカにとっては、パウロの運命が、
神の救済史において最大問題だからです。しかし、「古代誌」によれば、懸案
とは、明らかに「暗殺者集団の抑圧」ないしは「弾圧」です。そして、「古代
誌」には、フェストスの項においても、パウロの名は一切出てこないのです。
 さて、現実には、パウロ問題は、ローマのユダヤ統治の中では些細な問題に
すぎなかったかもしれませんが、ルカによれば、パウロ問題は、総督フェスト
スの赴任と同時に、次のような展開を見せました。

2〜3節「祭司長たちやユダヤ人の主だった人々は、パウロを訴え出て、彼を
エルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストスに頼んだ。途
中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。」

 この2〜3節は一体何を意味しているのでしょうか。
第一に、ユダヤ教側は、もう裁判を継続する気はない。正確に言えば、ローマ
の官憲によって、騒乱罪ないしは騒乱誘発罪で告訴されたパウロの裁判に、証
人として出廷し、協力する気はもうない、ということを明確にした、というこ
とです。
 なぜでしょうか。
それは、前回までの説教で明らかにしたごとく、これまで、ユダヤ教側がパウ
ロ裁判に協力してきたのは、実は、裁判長である総督フェリクスを追い落とす
ためであったからです。すでに、フェリクスは退任しました。新たに赴任した
フェストスには、ユダヤ教側は、今のところ何の恨みもありません。そこで、
出廷を拒否したのです。
 これが、2〜3節の第1の意味、含みなのです。
しからば、パウロについては、ユダヤ教側はどう処置しようとしているのか。
それは、このような小者は、自分たちで始末してしまおう、ということです。
ここで、ユダヤ教側は、パウロを自分たちの手に納めて、ユダヤ教による裁判
にかけようとしたのだ、という解釈もあり、その解釈に従って、書き換えられ
たテキストもあります。
 しかし、ユダヤ教側は、そこまで手間をかける気もなかったことでしょう。
このような、パウロの程度の小者は、暗殺してしまえばおしまいと、考えてい
たのではないか、と考えられます。そこで、2〜3節ということになるのです。
 フェストスにパウロの引き渡しを要求する時には、「ユダヤ教の裁判にかけ
たい」とか何とか言ったかもしれません。が、それは建前にすぎません。本当
は、裁判を開く手間も惜しんだのです。
 が、フェストスは暗殺計画を察知します。、「暗殺」を防止すること、暗殺
者集団を弾圧することこそ、ここは、ルカの記事もほのめかしているところで
すが、彼の第一の政治課題であったわけです。それを許さず、4〜5節の対応
をとるわけです。

4〜5節「ところがフェストスは、パウロがカイサリアで監禁されており、自
分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なと
ころがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下っ
て行って、告発すればよいではないか』と言った。」

 フェストスに、パウロを無罪放免しよう、という意図はなかったでしょう。
彼にとっても、パウロ裁判も、わずらわしい裁判の一つに過ぎないからです。
 しかし、裁判手続きを正当に行おう、という意志はありました。
よってユダヤ教側を強引に裁判に引き戻してしまったのです。いやいや裁判に
応じたユダヤ教側がどう対応したのか、そして、裁判がどのように進んだのか、
それは次回触れることといたしましょう。
 しかし、二代の総督を比較してみるとより明確になりますが、救済史の観点
からすると、下心を持って、ねちねちとキリスト教に近づいてくる人より、た
とえキリスト教にそのものには特には関心がなかったとしても、正義を求めて
歩む人の方が救いに近い、神に喜ばれる、ということです。
 私は、フェリクスでしょうか?フェストスでしょうか?

(この項、完)



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