2018年04月15日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第93回「使徒言行録25章1〜5節」
(14/9/14)(その1)

25章1〜5節「フェストスは、総督として着任して三日たってから、カイサリ
アからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人の主だった人々は、パウロ
を訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェス
トスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェ
ストスは、パウロがカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰る
つもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、
あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよい
ではないか』と言った。」

 今日から、ローマ総督フェストスの時代に入ります。総督が替わって、監禁
されたままでいるパウロの運命に何らかの進展があるのかどうか、がテーマで
す。
 総督フェストスについては、前回の説教において、若干の点について触れま
した。
 すなわち、ポルキウス・フェストスに関する情報は極めて少なく、ヨセフス
の「古代誌」と、「ユダヤ戦記」に記載があるのみなのですが、「古代誌」と
「ユダヤ戦記」に共通する情報として、「無頼の徒」、シカリオスと称する暗
殺者集団に非常に厳しい姿勢を取り、そしてそれはそれなりに効果を上げた、
ということです。
 さらに、前回は触れられませんでしたが、「古代誌」によれば、それではポ
ルキウス・フェストスはユダヤ人に厳しいだけの人間であったのか、と言えば、
そうではなかったことも分かるのです。
「古代誌」によればこうです。
 そのころ、アグリッパ王の宮殿は、エルサレム神殿の隣にありました。そし
て、そのころ、アグリッパ王は、その宮殿の中に立派な食堂を造った、とのこ
とです。ところが、その食堂からは、エルサレムの市中が見えるばかりではな
く、神殿の中、特に犠牲の行事が手に取るように見えた、ということです。し
かも、悪いことに、王は食堂の椅子にもたれては、神殿内の行事、特に犠牲の
行事を見ることが事の他、好きだったのです。
 しかし、これは、神殿で儀礼を行っている聖職者たちにとっては不愉快なこ
とでした。
 そこで、彼ら(聖職者たち)がどうしたか、と言うと、犠牲の行事をアグ
リッパ王に見られないために、犠牲の行事をアグリッパ王から隠すために、神
殿の西方の柱廊の上に高い壁を立てて、目隠しをしてしまったのです。
 当然のことながら、王は、王ですから怒りました。しかし、総督フェストス
も怒ったのです。なぜなら、この壁は、神殿での出来事を監視する衛兵の視線
もさえぎってしまったからです。
 総督は総督ですから、壁の撤去を命じました。ところが、ユダヤ人は、それ
を受け容れませんでした。神殿の建物を壊すことは、自分の命を失うようなも
のだ、という訳です。一触即発という事態です。
が、ここからが総督フェストスの偉いところです。
 ユダヤ人たちが、「この件に関して皇帝ネロに訴えたい」という要求を認め、
そして、ネロが、(ここには別の事情があるのですが)、何と、訴えの正当性
を認めて、壁の撤去を認めない、という裁決を出したことを受け容れたのです。
 自分の意に反する意見に対して、それを受け容れる、ということは、自分に
社会的地位があればあるほど難しいことです。そして、大いなる勇気を必要と
することです。しかし、フェストスはそれができる人物だったのです。
という予備知識を持って、本日のテキストに入っていきましょう。
 1節「フェストスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアから
エルサレムへ上った。」
 ユダヤは、正確に言えばシリア州の一部ですが、そこの総督府は、以前にも
言いましたようにカイサリアにありました。よって、総督フェストスの赴任先
はカイサリアだったのです。
 が、ユダヤ政治の中心はエルサレムにありましたので、彼は遅かれ早かれ、
エルサレムに上京せねばなりませんでした。「3日たって」は、「3日もして
から」という意味ではなく、「遅滞なく」という含みです。早々に懸案を処理
しておきたかったのではないか、と考えられます。

(この項、続く)



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