2018年02月18日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第89回「使徒言行録24章10〜21節」
(14/8/17)(その1)
10〜13節「総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。『私は、
閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げております
ので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かること
ですが、私が礼拝のためにエルサレムに上ってから、まだ12日しかたっていま
せん。神殿でも会堂でも町の中でも、この私が誰かと論争したり、群衆を扇動
したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発してい
る件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。』」
いつものように、先週、そしてそれ以前の振り返りから始めましょう。
シカリオス、熱心党と思しき暗殺者集団から逃れて、カイサリアへ無事護送さ
れたパウロですが、今、総督フェリクスの下で、ローマ法に基づく正式の裁判
を受けています。
そもそもパウロが、ローマへの反逆者でもないのに、なぜローマの裁判を受
けねばならないのか、考えてみると、とっても不思議なのですが、21:27以下
を見れば、それはこういうことです。
パウロは、未だにキリスト教になりきれない、ユダヤ教から抜け切れないエ
ルサレム教会の圧力に負けて、何と神殿に犠牲を献げに行ったのです。
ところが、その時、運悪く、アジア州ですからエフェソでしょう、エフェソ
で伝道していた時に対立したユダヤ人と鉢合わせしてしまうのです。アジア州
から来たユダヤ人たちは、「江戸の仇を長崎で」とばかりに、「この男は、世
界中で反神殿、反律法で宣伝しまくっている、とか異邦人を神殿境内に連れ込
んだ」とか言って、群衆を扇動し、そこで、パウロが殺されそうになった。こ
れがそもそもの事の始まりです。
危うく、パウロ1巻の終わりか! というところをローマの千人隊長が割っ
て入り、パウロを「逮捕」して、「保護」した、というのが、そもそもの始ま
りでした。
千人隊長としては、パウロに騒動を起こした、という嫌疑がありますので、
鞭打ち→強制自白、というプロセスを踏もうとしたところ、パウロがローマの
市民であることを知って恐れをなし(22:22以下)、また、ユダヤ人のパウロ
に対する評価はさまざまであることを知り、自身としては「パウロは無罪であ
る」との確信を持って、総督による正式の裁判を受けさせることを決断し、そ
のように段取った、という訳です。
ですから、告発人はだれか、と言えば、今でも、刑事裁判のときは、警察、
検察が告発人になるのでして、逮捕した千人隊長なわけです。(もっとも、千
人隊長自身は、パウロが無罪である、と確信していますが…)。
そこまで、皆さんいいですか?
だとすると、ユダヤ人は、告発人ではなくて、そもそも騒動が起きた事情に
ついて証言する証人になるはずです。ですから、前回のところで、アナニアそ
して、弁護士テルティロの口を通して語られていることは、「告発」ではなく
「証言」(のはず)です。
ところが、「証言」だとして、ユダヤ人も、アジア州から来たユダヤ人たち
と、シカリオス、熱心党と思しき暗殺者集団と、サドカイ派と、ファリサイ派
とで、事情と立場は水と油くらいに違いますから、パウロに関する証言は、グ
ループによって全く異なったものとなるはずです。それは22:30以下の、サン
ヒドリンでの議論の様子を見れば分かることです。
また、それを、5日の間で、大祭司アナニアの下で、一つにまとめた、とい
うことは、常識的にはありえないことですし、また、その事実をわたしたちは
知らないのです。
よって、先週申し上げたように、このアナニア(代理人テルティロ)の告発
(正確に言えば「証言」)は、バーチャルな(仮想の)ものであり、「もし仮
にユダヤ人が一致してパウロを訴えるとしたら、こうなるであろう」というも
のであるということ。つまり、ユダヤ人のパウロに対する反感の最大公約数で
ある、ということです。
それは何か、と言えば、「パウロがユダヤ教の本筋と異なる教えを説き、ユ
ダヤ人の間に騒動を引き起こしている、ということ、と神殿を汚そうとしてい
る、」というふたつのことでした。
さて、本日物語は、総督の指示によって、パウロの弁論に入ってまいりまし
た。
パウロは、儀礼的な法廷用語を用いつつもあっという間に反論してしまいま
した。
まず、「ユダヤ人の間に騒動を引き起こしている」という点についてです。
「私が礼拝のためにエルサレムに上ってから、まだ12日しかたっていません。
神殿でも会堂でも町の中でも、この私が誰かと論争したり、群衆を扇動したり
するのを、だれも見た者はおりません。」という訳です。
12日という数字には、疑問が投げかけられてきました。なぜなら、カイサリ
アに移されてから裁判開始まで待った日数だけでも5日間(もし事実なら)
あったからです。しかし、純粋にエルサレムにいた期間と考えれば、使徒言行
録の記事との辻褄は会います。
(この項、続く)
(C)2001-2018 MIYAKE, Nobuyuki &
Motosumiyoshi Church All rights reserved.