2017年07月30日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第74回「使徒言行録21章15〜16節」
(14/4/6)(その2)(承前)

 何が違うのでしょうか。それは、パウロの今までのエルサレム行の時(回心直
後(9:26〜30)、エルサレム会議(15:1〜35)、第二伝道旅行後(18:22))と違って、
エルサレム教会への献金集めに協力してくれた多くの異邦人の、そして大部分
は無割礼の信徒を伴っていたことでした。すなわち「ピロの子でベレア出身の
ソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、
それにアジア州出身のティキコとトロフィモ(20:4)」です。
 この人たちがいると何が問題なのでしょうか。クリスチャンは異邦人を分け
隔てしないはずではなかったのでしょうか。
 確かにペトロはこの壁を乗り越えました(10:48)。しかし、エルサレム教会
のクリスチャンは全員ユダヤ人です。全員割礼を受けています。すると、異邦
人とは、その方がクリスチャンではあっても、一緒に食事はしない、というこ
とが起こってもおかしくはないのです(ガラテヤ2:11以下)。
 ですから、宿泊先は、ユダヤ人クリスチャンの中でも、「ヘレニスト(6:1)」
の人で、しかも、異邦人クリスチャンに本当に心開かれた人でなければならな
かったのです。
 そういう人がいるのでしょうか。ヘレニストクリスチャンにして、「例の七
人の一人」にして、最初に異邦人伝道に手を付けたフィリポの息のかかった人
ならば、それができます。
 それで、パウロの本来の同行者と共に、カイサリアから、フィリポの教会の
メンバーが宿の紹介のために同行することとなったのでした。
むつかしいものですね。
 さてそこで、一行が紹介された宿が、ムナソンという人の家でした。ムナソ
ンの家に泊まったことには、以上の理由のほかに、他の二つの理由がありまし
た。
 その前に、以上の理由の補いですが、ムナソンさんがユダヤ人であることは、
その名から分かります。この名はギリシア人の名ではありません。ヘブライ語
で、「メナヘム」ないしは「マナセ」という名の人と考えられます。ギリシア
語を話す人々のサークルで、「ムナソン」と音読されたのでしょう。このこと
から、彼がヘレニストのユダヤ人であることが分かります。
 そこでいよいよ他の二つの理由の第一ですが、このムナソンさんの家が宿に
選ばれたのは、彼がヘレニストユダヤ人クリスチャンの中でも、「キプロス出
身」であったからでした。
 これはいったいどういうことなのでしょうか。パウロの第一伝道旅行の、と
いうことは、異邦人伝道の最初の伝道地はキプロスでしたから(13:4以下)、
パウロの異邦人伝道で改宗した人なのでしょうか。
 もしそうだとしたら、今、パウロが主人公である物語が物語られているので
すから、著者は必ずそう書くはずです。語られていないということは、そうで
はない、ということです。だとすると、「キプロス出身」は何でしょうか。象
徴的な意味を持っている、ということです。
 推測にすぎませんが、当時「キプロス出身のクリスチャン」というと、教会
の間では、たとえそうではなくとも「パウロの異邦人伝道の実」との意味合い
を持って受け止められたのではないでしょうか。だとすると、他にも「ヘレニ
ストクリスチャン」はいたはずなのに、彼の家が選ばれた特別の意味が浮かん
できます。
 そしてムナソンさんの家が選ばれたことに特別の意味があることは、第三の
理由によってさらに強化されることとなります。ムナソンさんは、「ずっと以
前から(原語では「アルカイオス」)」クリスチャンであった、というのです。
「ずっと以前から」とは一体いつからなのでしょうか。パウロがキプロス伝道
を始めたときから、という意味でしょうか。
 ところが、この「アルケー」という語ですが、LXXでは、実は天地創造の
時を指しているのです。日本語訳の「はじめに」です。そして、実際、使徒言
行録のもう一つの用例、15:7では、著者はこの語を「神の先行する(先在の)
選び」の意味で用いているのです。
 ムナソンさんの家がパウロらの一行の宿として選ばれたのは、彼が異邦人ク
リスチャンに心開かれた、フィリポの息のかかったヘレニストクリスチャンで
あったから、という理由だけではありませんでした。パウロの伝道活動を象徴
する人物として、そしてさらには、神によってパウロの働きを支えるためにす
でに選ばれていた「特別のひと」という意味合いを持っていたと考えられるの
です。
パウロの何の働きをどのように支えるのでしょうか。
 それは、パウロの「王としての凱旋」同時に「死への旅立ち」を、ちょうど
イエスにおいて、ベタニアの「重い皮膚病の人シモンの家(マタイによる福音
書およびマルコによる福音書)」ないしは「ラザロの家(ヨハネによる福音書)」
が支えたように、支えるのです。パウロはこの家を旅立って、死出の歩みへと
赴くのです。
 それを支えることができたのですから、ムナソンは、本当に幸せでした。私
たちも、直接ではなくとも、貴い神の働きを支えられる人となれますように。

(この項、完)



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