2017年07月23日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第73回「使徒言行録21章7〜14節」
(14/3/30)(その3)
(承前)

 ここには、この教会には、霊性の大きな高まりがあったのです。キリスト者
は、キリストに倣って歩もう、と決意するとき、しかも、キリストに倣って死
を覚悟して歩もう、と決意するとき、霊性の最高の高まりを覚えるのです。
 私たちの教会はどうでしょうか。
今日は、この問いをもって、御言葉の取り次ぎを終えたい、と思います。

(この項、完)


第74回「使徒言行録21章15〜16節」
(14/4/6)(その1)

15節「数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。」

 それではいつものように前回までのストーリーを確認するところから始める
ことといたしましょう。
 異邦人伝道、途中からは明らかに世界伝道ですが、の業をなし終えて、パウ
ロは今、エルサレムへの「王者としての凱旋」、それは同時に死への旅立ちを
なそうとしているところです。「イエスに倣って」ですからそうなるのです。
 人がイエスに倣って死を覚悟して前へ進もうとするとき、そこには「霊性の
高まり」があります。そして、聖霊も悪霊も活発に働きます。
 ティルスにおいては、悪霊が、パウロがエルサレムへ行かないように、と押
しとどめました。悪霊としては、エルサレムにおいて、神のみ業がなされよう
としていることを分かった上で、それがなされてしまっては困るからです。
 逆に、プトレマイスにおいては、教会において聖霊が働き、パウロの、イエ
スに倣っての苦難を予告しました。
 「わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上ら
ないようにと、パウロにしきりに頼」みました。「人情」、すなわち「自然の
感情」から出た言葉だと思います。しかし、いかにそれが「人情」ないしは
「自然の感情」から出たものであったとしても、聖霊に逆らうことは、サタン
の働きです。
 ここは前回説明不足であった点でありますが、実は、ここでマルコによる福
音書8章31節以下の出来事が繰り返されたのです。
 イエスが、弟子たちとフィリボ・カイサリアの地方へお出かけになられた時、
ペトロの信仰告白がありました。信仰告白のあるところ、教会があります。そ
れで、9章の2節以下の「み姿変わり」があるのですが、その教会の存在を前
提として、受難予告がなされました。神のみ業が、イエス御自身から、直接に
示されたのです。
 すると、さっき信仰告白、「あなたはメシアです」をしたばかりのペトロが、
イエスをわきへお連れして、いさめ始めたのです(8:24)。内容的には、「先生、
そのようなことがあってはなりません」という類の「心配しての言葉」だった
でしょう。
 ところが、イエスの反応は「振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを
叱って言われた。『あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている』
(8:33)」だったのです。
 ペトロが悪霊に取りつかれてしまったという訳ではありません。しかし、聖
霊の働きに逆らうことは、即、サタン(悪霊の頭)に加担することになるので
す。
 使徒言行録21:7以下、フィリポの家の教会でも同じことが起こった、とい
うことです。それゆえ、パウロも「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いっ
たいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛
られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」と、神
ならぬ彼としては、サタンと直接対峙することはできませんが、その「人情」
「自然の感情」が神の御心に適わないことを告げたのです。
 「人情」「自然の感情」が神の御心に適うとは限りません。神の御心に適わ
ないどころか、サタンに加担することさえあることを、私たちはわきまえねば
なりません。
 さて、こうして、パウロら一行は、フィリポの家の教会を、数日後に発って
エルサレムへ向かうこととなりました。「旅の準備」の中には、もちろん「献
金の持参」が含まれています。今度は疑いなく「陸路」です。
 が、エルサレムまでの短い行程での大変興味深い、そして、意味深な出来事
が、16節に記されています。今日はその出来事を中心に、学んでまいりま
しょう。

16節「カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人
の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、
ずっと以前からの弟子であった。」

 エルサレム行の最後、すなわち「詰め」はどのようにしてなされたのでしょう
か。
 まず、泊まる場所を確保するために、案内者が必要でした。クリスチャンに
なってからも、パウロにとってエルサレムは周知の町だったはずなのに、どう
してなのでしょうか。それは、エルサレムにいたときのパウロと、今のパウロ
とは全く違うからです。

(この項、続く)



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