2017年07月16日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第73回「「使徒言行録21章7〜14節」
(14/3/30)(その2)
(承前)

 さて、エルサレムが近くなってきました。最終上陸地がどこか、という問題
ですが、プトレマイスとする説と、カイサリアとする説と両方あり、決定でき
ません。もし、プトレマイスであるとすると、そこからは陸路を通って、そこ
での滞在は1日だけにして、急いで、エルサレムへ向かったことになります。
もし、カイサリアであるとすると、プトレマイスで1日しか過ごさなかったの
は、荷物の積み下ろしの関係である、ということになります。
 新共同訳は「カイサリア説」を採用しているのですが、わたしは「プトレマ
イス説」を採っています。なぜなら、「(ティルスから航海を)続けて」と訳さ
れている語、原語は「ディアニュオー」と言いますが、「終わる」「完了する」
という意味の語だからです。著者が、プトレマイスで航海完了、と宣言してい
るから、プトレマイスで終わりなのです。
 さて、いずれにしても、プトレマイスでは急ぎましたが、カイサリアは、エ
ルサレムに行くための最終準備をするところでしたので、幾日か滞在すること
となりました。後半は、そのカイサリアでの出来事です。

8節途中〜14節「例の7人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに
泊まった。この人には預言をする4人の未婚の娘がいた。幾日か滞在していた
とき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。そして、わたしたち
のところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。『聖
霊がこうお告げになっている。「エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主を
このように縛って異邦人の手に引き渡す。」』わたしたちはこれを聞き、土地
の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼
んだ。そのとき、パウロは答えた。『泣いたり、わたしの心をくじいたり、
いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレム
で縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。』パ
ウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の
御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ。」

 カイサリアで、パウロ一行が泊まった家は、「例の7人の一人である福音宣
教者フィリポ」の家でした。
 このフィリポは、エルサレム教会に「ギリシア語を話すユダヤ人」、すなわ
ち、異邦人に心を開いた人々が増えて来たとき、その世話係の7人の一人とし
て選ばれた人でした。そこの講解説教の時に申し上げたように、この7人は、
ただの「世話係」ではなく、使徒に準ずる働きをする人でした。
 そのとおり、彼はまず、サマリア伝道に着手します。大きな成果を上げたに
も拘わらず、フィリポの使徒の権威を認めないエルサレム教会の失態により、
サマリア伝道は失敗に終わってしまいます。
 しかし、エチオピアの高官に適切な指導をした彼は、エチオピアの高官を受
洗にまで導き、カイサリアに定着しました(8:40)。
 そこまでが、使徒言行録で、これまでのところフィリポについてもたらされ
た情報でした。が、このフィリポが、今回はパウロの世話をすることとなりま
す。
 4人の預言をする未婚の娘がいた、ということは、フィリポの家において、
教会が形成されていた、ということです。預言者の存在は当時の教会において
必須の条件だったからです。さらに、そこで教会生活をしているうちに、(こ
の人物は、11章のところで、アンティオキアの教会にも現れていますが)アガ
ボという預言者が、象徴行動でもって、パウロの運命を預言します。
 この預言は、教会においてなされたがゆえに、使徒の使徒的使命にかかわる
ものだ、ということです。
 だとしたら、どうしたらよいでしょうか。従わねばなりません。
ところが、わたしたち、著者も含めて、周囲の人々は、神の声を聞かず、「人
情」から、「土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パ
ウロにしきりに頼」みました。
 しかし、パウロは、使徒としての自覚がある限り、そうであってはいけませ
ん。「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬこ
とさえも、わたしは覚悟しているのです」と言って、使徒としての使命をここ
で全うしようとしたのです。
 もちろん、パウロだって怖かったに違いありません。しかし、使徒としての
使命を全うすることのみが、パウロが今まで努力してきたことを無にしないで、
成就させる道であることを忘れることなく、強いて、自分をその使命のために
向けて行ったのです。
 この荘厳なる決意の前では、人は沈黙せざるを得ません。『主の御心が行わ
れますように』との会衆の応答は、あきらめではなく、主の栄光への賛美です。

(この項、続く)



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