2017年07月09日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第73回「使徒言行録21章7〜14節」
(14/3/30)(その1)
7〜8節途中「わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、
兄弟たちに挨拶して、彼らのところで1日を過ごした。翌日そこをたってカイ
サリアに赴き、」
すべての異邦人伝道を終了し、聖霊の導きにより、イエスに倣ってエルサレ
ムに「王の凱旋」をしよう、と決断したパウロは、いよいよ、次回、新年度第
1回目、4月6日の説教のところでエルサレム入城を果たすこととなります。
今日は、それに備えて、ティルスから、プトレマイス、そしてカイサリアを
訪ねたときの出来事です。
しかし、改めて客観的、冷静に考えてみると、異邦人伝道に生涯をかけたパ
ウロにしては、そのエルサレム行は「不思議な行動」と言えるのではないで
しょうか。
そもそも異邦人伝道は、エルサレム教会に大迫害が起こり、使徒たちがユダ
ヤとサマリアの地方に散って行ったところから始まりました。
最初はいろいろな試行錯誤がありましたが、教会はその中で、異邦人伝道の
ための3つの原則を確立していきました。第一は、使徒の権威が確立している
ことが必要であること。第二は、福音をユダヤ人に対してばかりでなく、ユダ
ヤ教の伝統を踏まえてさらに異邦人に語ることのできる伝道者の必要であるこ
と。そして第三は、異邦人伝道に当たっては、何よりも、イエス・キリストご
自身が示され、語られる必要があるということです。
これらの原則を踏まえて、パウロが最初に実施した異邦人伝道が、第一伝道
旅行です。
この第一伝道旅行において、異邦人伝道のための3つの原則が実証されまし
た。しかし、異邦人伝道の第二の課題、「福音をユダヤ人に対してばかりでな
く、ユダヤ教の伝統を踏まえてさらに異邦人に語ることができるか」という課
題の達成が、実は大変に困難なことであることを、二人は知りました。旧約聖
書を知らない、つまりあくまでも「異邦人」である人への伝道の困難さです。
が、この困難さは、パウロの第2伝道旅行において乗り越えられることとな
りました。パウロの第2伝道旅行は、ユダヤ教の影響力のない、ないしは希薄
なヨーロッパ本土へ向かうこととなります。この環境の中で、異邦人伝道を超
えて、ローマ伝道、世界伝道の原則が確立されていくこととなります。
その第一は、偶像礼拝からの解放です。偶像礼拝の重荷に耐えかねている人
に、キリスト教の伝道はイエスの福音によって、真の神への道と解放とを告げ
知らせるのです。
第二は、第一と関連しますが、偶像礼拝に関連して、「霊」に取りつかれて
いる人、この「霊」は、その人の自由を奪う、という意味において「悪霊」で
すが、その人への「悪霊祓い」です。イエス・キリストの名による「悪霊祓い」
が、その人に全き自由、キリストにある自由を保証します。
そして第三に、もともと持っていらした「カミ(大いなるもの)への畏れ」
を言わば「窓口」として、主イエスを信じる信仰へと導かれるケースです。
そして第四は、伝道の手続きの問題ですが、あくまでも「ローマの法」に則っ
て伝道が進められるべきである、ということです。ローマ社会の中で市民権を
得ることによって初めて、孤立することなく、福音がローマ社会に根付いてい
くことができるのです。
こうして、異邦人伝道は世界伝道として確立され、第三伝道旅行を通して、
教会の組織、経済も確立されて、教会は名実ともに、「異邦人教会」から「世
界教会」となったのです。
一般的に考えれば、パウロは、コリントなり、エフェソなりを拠点として、
新教団を設立し、ローマ(市)へ乗り込む準備をすべきなのではないでしょうか。
エルサレム教会へ献金をけるとしても、新教団設立の後、落ち着いてからで
いいのではないでしょうか。
なのになぜ、パウロは今、死ぬと分かっているのに、危険なエルサレムへわ
ざわざ出かけて行って、イエスに倣ってエルサレムに「王の凱旋」をしような
どと考えたのでしょうか。教団設立、つまり世界伝道そのものに悪影響が出る
とは考えなかったのでしょうか。聖霊の導きだとしても、「神様それは違いま
す」と断りはしなかったのでしょうか。なぜ、引き受けたのでしょうか。
ここがポイントなのですが、パウロは、世界伝道の出発点である異邦人伝道
のための3つの原則の第一、使徒の権威が確立していることが必要であること、
を決して忘れなかったのです。異邦人伝道・世界伝道は、あくまでも復活の主
に、使徒の任命と共に与えられた使命であったということです。
パウロはこの事だけは証明しなければなりません。よって危険であっても、
エルサレムへ行って、命を懸けてでも「証し」をし、異邦人伝道・世界伝道を
認知してもらわねばならなかったのです。
パウロのエルサレム行は、実は、異邦人伝道、世界伝道の進展のために必須
の行動でもあったのです。
(この項、続く)
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