2017年06月18日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第71回「使徒言行録20章32〜38節」
(14/3/16)(その3)
(承前)

 むしろ、パウロにとって大切なテーマは「教会の自立」でした。
異邦人伝道を推し進めながら、パウロの伝道は、なかなかシナゴグから独立で
きませんでした。本当の、大きな理由はキリスト教会が経済的に独立していな
かったからです。
 それが、コリントで、パウロが手に職を持つことにより、教会が別の建物を
持つ、という形で独立できたのです。教会が自立できない時、(現代の言葉で
言えば)牧師、信徒の区別なく働いて、自立せねばならないのです。
 パウロはそのことを実行してきたことを、ここで述べているのです。イエス
に倣う者ではあっても、一介の伝道者に過ぎないパウロは、教会の自立がいか
に大切か、最後に、エフェソ教会の「長老(プレスビュテロイ)」に伝えておき
たかったのではないでしょうか。
 しかし、教会はいずれ自立できる時を迎えます。そして、教会の富も蓄積さ
れるときが来ます。その時、どうするか。自立を目指しているときと、話は全
く別です。「(たとえ教会のためとはいえ)自らのためにため込む」のではなく、
他者のため、弱い者を助けるために用いられるべきです。また、そうでなけれ
ばなりません。
 『受けるよりは与える方が幸いである』という言葉は、意外に思われるかも
しれませんが、福音書に記されていない「イエスの言葉」です。ここにしか記
されていません。実際考えてみると、イエスが直接言葉を投げかけられた人は、
「持たざる者」ばかりでした。与える余裕など全くない人ばかりでした。しか
し、クリスチャンが「もつ」ようになった時、この「隠れたイエスの言葉」が
威力を発揮するのです。パウロは、パウロ後の教会を見据えています。
さて、こうして、ほんとに本当に、最後の「別れの時」を迎えてしまいました。

36〜38節「このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。
人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二
度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウ
ロを船まで見送りに行った。」

頼りにしてきた方と別れねばならぬ時もあります。かような時ほど、神にすべ
てをゆだね、使命に生きる決心をしてまいりましょう。

(この項、完)


第72回「使徒言行録21章1〜6節」
(14/3/23)(その1)

1〜2節「わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日
ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、
それに乗って出発した。」

 ミレトスでの、エフェソ教会の長老との蜜なる別れの時を過ごした後、パウ
ロは、エルサレム行の一歩を踏み出しました。今日はそこから話が始まります。
 エルサレム行は、フィリピから始まっていますので、ルカ独特の時間表示、
「そのころ」はありませんが、「あとはエルサレムに向かうだけ」というとこ
ろまでは来ましたので、ここに「小さな区切り」があることは事実です。
 ということはどういうことか、と言うと、ここから先は、パウロの設立した
異邦人教会での「牧会活動」はなくなるのです。使徒言行録は、28章で、パウ
ロのローマでの宣教活動について、記載していますが、よく読むと、家を訪ね
てくる人に「神の国」を宣べ伝えた、ということであって、教会を設立したわ
けではありません。
 そこで、パウロが、自分で設立した教会の信徒に、最後に何と言ったか、そ
れだけは確認しておきたい、と思います。
 それは、「受けるよりは与える方が幸いである」というイエスの言葉の引用
でした。その当時の教会は、まだまだ自立しておらず、与える力などありませ
んから、その当時の教会を相手にした言葉ではありません。
 しかし、将来の、その時からの将来の教会のあるべき姿をきちんと見据えた
発言なのです。教会の歴史は、その後大きな苦難をも体験していますけれども、
ローマカトリック教会を軸とした体制に集約され、現在に至っております。
 そして、カトリック教会に限らず、本当の信者は一生懸命寄進して、そして
実際教会に多くの富が蓄積されたのです。
 問題は、その集まってしまった富をどうするか、パウロはそれを言っている
のです。本来は、その富を教会自身を豪華にするために用いるのではなく、
「神の国」の実現のための活動に用いなさいよ、というのが、原点だ、という
ことです。そして「原点に返る」ことが、長老に課せられた使命だ、というこ
とです。

(この項、続く)



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