2017年04月30日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第68回「使徒言行録20章13〜16節」
(14/2/23)(その3)
(承前)

 もちろん、パウロは、ヘロデのようなこの世の王ではありません。しかし、
傀儡である、と言う点では、ヘロデと全く一緒です。パウロは、ローマの傀儡
ではなく、イエスの傀儡として、イエスが過越祭の時に、「王」とされると同
時に贖われたように、パウロも祭りの時に、イエスに倣う覚悟でエルサレムに
凱旋しようとしたのではないでしょうか。このことは、エフェソ教会の皆さん
に別れを告げることに優先されるべきことであり、エフェソ教会の皆さんに理
解していただかねばならなかったことだったのです。
 もちろん、パウロがこの時点で、そこまで自覚を持っていたかどうかは、不
明です。しかし、その後の経過は、そのとおりになりました。イエスの傀儡と
して、彼は捕えられ、イエスに倣う者とされたのです。
 今日の記事は、パウロの運命の大きな転換点、決断の時となっています。私
たちにも決断の時は与えられます。その時にどうか、主の御心に適う決断がで
きますように。
 が、と同時に、そのような大事な時に限って、小さなことで「喧嘩別れ」と
言ったことも起こるものです。私たちが結局は罪人に過ぎない証拠です。しか
し、私たちが、自分の考え、自己保全ではなく、主イエスのご意思に従う信仰
を確かに持っているならば、道は開かれます。
主のご意思に従ってまいりましょう。

(この項、完)


第69回「使徒言行録20章17〜24節」
(14/3/2)(その1)

17節「パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄
せた。」

 まず、表面上の、つまり、現行の使徒言行録が伝える場面設定を言います。
前回のところ、20:13〜16によれば、第3伝道旅行の目的、すでに出来上がって
いる教会を励まし、諭す、を終えたパウロは、第3伝道旅行のもう一つの目的、
エルサレム教会への献金行脚も無事終えて、今、エルサレム教会への献金を届
ける旅の途中にあります。
 そして、特に16節ですが、パウロは、五旬祭にはエルサレムに着いていた
かったので、アジア州でむだに時を過ごすことのないよう、2年3か月にもわ
たって伝道を行い、あれだけ親しかったエフェソ教会へ寄ることを避け、ミレ
トスを長い地中海航海の拠点と定め、いまミレトスで、おそらく、出帆の準備
をしているところなのであります。
 しかし、以上の使徒言行録の20:13〜16の場面設定には、大きな疑問が残り
ます。もうすでにユダヤ教徒ではなく、キリスト教徒であるパウロが、なぜそ
んなにユダヤ教の祭りである、五旬祭を大事にしなければならないのか、そこ
が疑問である、ということです。五旬祭は、使徒言行録2章が言うように、キ
リスト教のペンテコステの出来事が起こった「時」ではありますが、このころ、
エルサレムで「キリスト教のペンテコステ」が祝われていた形跡は全くなく、
ここで言う五旬祭は、あくまでもユダヤ教の収穫祭であり、巡礼祭です。
 そんなお祭りに、パウロが、あの愛して愛して愛してやまないエフェソ教会
への立ち寄りを断念、まさに断念してまで参加しようとしているのはなぜなの
か、という疑問であります。
 で、前回申し上げなかったのですが、この疑問に対する「通説」である答え
は、「パウロがユダヤ教に対して忠誠であることを示すため」なのです。これ
から、エルサレムで、パウロは、エルサレム教会の人に会い、ユダヤ教の当局
者と折衝しなければなりません。エルサレム教会は、ご存知のように、「ユダ
ヤ教キリスト派」という状況ですから、パウロも、政略上、ユダヤ教に忠誠で
あることを示しておいた方がいいだろう、という訳です。
 ちなみに、このころのエルサレム教会、主の日、日曜日に、聖餐式をもって
礼拝を守っていたか、と言うと、ほとんどその可能性はありません。サバトを
守り、神殿礼拝を守り、少なくともユダヤ人信徒は、律法を忠実に守っていた、
と考えられます。ユダヤ教と、エルサレム教会のキリスト教の違いは、「イエ
スをメシアと認めるかどうか」だけです。
 この通説に対し、私は前回、根拠を持って「そうではないだろう」というこ
とを申し上げたわけであります。あれだけはっきりと、律法においてユダヤ教
と訣別したパウロが、たとえ政略上であるとしても、いまさら、ユダヤ教の祭
りではないだろう、という通説に対する疑問はともかくとしても、パウロには、
別の意図があるだろう、ということです。

(この項、続く)


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