2017年04月02日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第68回「使徒言行録20章7〜12節」
(14/2/16)(その2)
(承前)
しかし、パウロは、アジア州での伝道を聖霊によって禁じられ、仕方なく、
ミシア地方に行き、ビティニア州での、つまり黒海沿岸での伝道を目指します。
しかし、それもイエスの霊によって禁じられ、下って来たところがトロアスで
した。
もし私がパウロの立場だったとしたら、「なぜ、聖霊はアジア州での伝道を
禁じられたのだろうか。それなら、ということでビティニア州での伝道を目指
したのに、今度は、イエスが直接お禁じになられるとは。一体、主イエスは、
私に何をさせようとしておられるのか。」と思ったと思います。パウロも全く
その思いで、おそらく悶々としていたところ、夢の中で、と思いますが、マケ
ドニア人の幻に出会い、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてく
ださい」との声を聞くのです。
パウロはたぶん「はたと膝を打ち」、「主がわたしに用意してくださった使
命はこれだったのか」と、早速にマケドニアに出発した、というのが、16:6〜10
の物語です。
よって、トロアスは「パウロがギリシア伝道の使命を与えられた地」という
のが、使徒言行録の記述のすべてであり、使徒言行録においては、パウロがト
ロアスで伝道した痕跡もなく、ましてや、パウロによって教会が形成された記
録もないのです。
トロアスに、使徒言行録関連の記念碑を建てるとすれば、「パウロ、ここに
てマケドニア人の幻を見る」ないしは「…ギリシア伝道の使命を与えられる」
といったところでしょうか。
しかし、今日の物語は、明らかにトロアスに教会があることを前提としてい
ます。これはいったいどうしたことでしょうか。
ここからはあくまでも推測にすぎませんが、根拠のない推測はさておいて、
パウロのエフェソ伝道での成果の一つだったのではないでしょうか。
パウロはエフェソで2年3か月にわたって伝道し、「アジア州に住む者は、
ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになりました
(19:10)。」聞いた人々が核となって、そこにパウロ自身の、あるいは弟子の
指導が入ったかどうかはわかりませんが、教会が形成されたのではないでしょ
うか。
こうして、直接、間接、どちらにせよ、パウロの指導を受けた教会がトロア
スには存在していたのです。
よって、パウロがエルサレム行脚の途中にこの地によって、1週間を過ごし
たのは、教会の人々を励まし、別れを告げるためだったのではないか、という
結論が導き出されるのです。
さて、1週間の時を過ごし、最後の日、礼拝が守られました。が、この礼拝が、
そしてこのトロアスでの礼拝の記録が、キリスト教の歴史において、画期的な
意味をもつものとなったのです。
第一に、週の初めの日、日曜日に礼拝が守られた、ということです。
私たちの常識として、ユダヤ教の安息日は土曜日で、それが、キリスト教に
なって、主イエス・キリストの復活にあやかって、週の初めの日に礼拝を守る
ようになった、ということは、だれでもが知るところです。
そして、実際2世紀初めにイグナチウスという人が書いたものによれば、土
曜日に礼拝を守るか、日曜日に礼拝を守るか、が、ユダヤ教とキリスト教を分
けるメルクマールである、とされています。
しかし、エルサレム教会の使徒たちが、まだ土曜日に神殿で礼拝を守ってい
た、とする記録が残っている(使徒言行録3:1)一方で、教会が日曜日に礼拝
を守った記録は、新約聖書中、実はここだけなのです。
理念としての「日曜礼拝」の考え方は早くからあったことでしょう。しかし、
現実には日曜礼拝はなかなか守れませんでした。なぜなら…。
パウロの異邦人伝道は、特に経済的理由でシナゴグから独立することができ
ず、どの町でも、実際にはシナゴグでの伝道から始まりました。シナゴグに
人々が集まり礼拝が行われるのはサバト、安息日、すなわち土曜日ですから、
パウロそして一行は、実際は土曜日にシナゴグでユダヤ教徒と共に礼拝してい
たのです。
それが、どこでしたか? そう、コリントで、です。パウロはシナゴグから
完全に独立し、自分で職業をもって経済的に自立して、貧しいながらも教会独
自の建物をもち、おそらくここから、「日曜礼拝」が実際に、正々堂々と始
まったのではないでしょうか。
エフェソの教会も、シナゴグから独立していましたから、「日曜礼拝」がき
ちんと守られていたことでしょう。そしてトロアスの教会も「然り」だったの
です。
トロアスの教会も、パウロの異邦人伝道の「成果」を表す教会だったのです。
(この項、続く)
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