2017年03月26日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第66回「使徒言行録20章1〜6節」
(14/2/9)(その3)
(承前)

 そしてここ4節のパウロに同行した者たちのリストを見ると、ベレア出身者、
テサロニケ出身者が含まれています。また、そうでなくとも、皆エルサレムま
でパウロと同行しました。さらにアリスタルコとテモテとティキコは、後に囚
人となったパウロにも同行しています(27:2など)。ちなみに、4節で「同行」
と訳されていますが、これは、19:29の「同行」とは原語が違います。「シュネ
ポマイ」という語で、「共に旅する」の意ではなく、「共に従う」との意味を
持つ語です。よってこれらの7人は、パウロとただ旅を共にしたのではなく、
マケドニアで共に募金活動に従事し、その成果(proceeds)をエルサレムへ届け
る役割を担っていたことが分かるのです。
 ローマの信徒への手紙の講解説教において触れたように、イエスの復活の証
人であるエルサレムの教会を支えることは、パウロの二大使命のうちの一つで
した。そして、パウロはマケドニアでこの使命に従事し、全うしたがゆえに、
シリア州に向かって、すなわち、エルサレム行きを決心したのです。
 こうして、パウロは、募金活動を終え、ギリシアへ、すなわち、コリントへ
到着し、そこで3か月を過ごしました。使徒言行録に日々の出来事は触れられ
ていませんが、教会との和解のうちに「平穏の日々」を過ごしたことと思われ
ます。
 そして、この3カ月の間にパウロは、パウロの第一の使命、異邦人伝道の集
大成とも言えるローマの信徒への手紙を執筆したのでした。
 ローマの信徒への手紙がコリントで書かれたことがなぜわかるのでしょうか。
ローマの信徒への手紙は、律法による義に対して、信仰による義が開かれたこ
とを明らかとしています。そこには大きな喜びが記されています。しかし、
ローマの信徒への手紙の講解説教で触れたように、今説教再録でちょうど取り
上げているところですが、12章以下においては、「信仰による義」に生きるク
リスチャンが陥りやすい罪について、厳しく糾弾されています。「信仰の義」
の暗い面、落とし穴です。ローマの信徒への手紙の講解説教でも申し上げまし
たが、これらの暗い事実は、パウロが理論的に想定して書いたのではなく、コ
リント教会で事実発生した出来事でした。パウロは、その意味で、コリント教
会事件を踏まえて、異邦人伝道の集大成をコリントにおいてまとめたのでした。
ここに異邦人伝道の、あくまでもこの時代までのものですが、集大成がなされ
ました。パウロはその報告のためにもエルサレムへ行かねばなりません。
 こうして、ユダヤ人の妨害にあって、海路の予定が陸路に変わりはしました
が、一行はトロアスで再集合し、いよいよ、最終的にはローマを目指しつつも、
まず、エルサレムへの旅に出発することとなったのです。エルサレムにおいて、
パウロは異邦人伝道の成果を報告し、さらにローマへ向けての新たな異邦人伝
道を開始せねばなりません。パウロは命を懸けて、この大きな課題に取り組む
こととなりました。
 なお、フィリピで、使徒言行録の著者自身もこの旅に加わることとなりまし
た。異邦人伝道は、新たな段階を迎えることとなったのです。
私たちも、陣容を整えて、新たな使命に生きましよう。

(この項、完)


第68回「使徒言行録20章7〜12節」
(14/2/16)(その1)

7節「週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌
日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。」

 第3伝道旅行の最終目的地ギリシアでの献金行脚と、コリントでの滞在、そ
してローマの信徒への手紙の執筆を終えたパウロは、いよいよ、献金を携えて
同行者と共にエルサレム行に出発すべく、今、対岸、アジア州(小アジア)の
トロアスにいます。
 すぐにでも出発すればよさそうなものですが、パウロはこのトロアスで1週
間を過ごしました。何のためだったのでしょうか。
 ところで、トロアスの教会については、使徒言行録には実はほとんど記述が
ありません。使徒言行録16:6以下のみです。
そこによれば、…
 第二伝道旅行の途次、パウロとシラスは、陸路小アジアへ入りまして、第1
伝道旅行において形成したデルベとリストラの教会へ行きます。そこで、テモ
テという弟子にして同行者を得まして、パウロはなおもアジア州で伝道するこ
とを目指していたことと思われます。

(この項、続く)



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