2017年03月05日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第65回「使徒言行録19章28〜40節」
(14/2/2)(その2)
(承前)

 しかし、「銀細工職人の生計が成り立たなくなるかもしれない」という訴え
では、他の業種の人々の共感を得ることは難しいですから、パウロが『手で
造ったものなどは神ではない』と言って「アルテミス神殿や、女神の威光をな
いがしろにした」という「言いがかり」をつけ、人々の愛国心感情に訴えるわ
けであります。
 そして、エフェソ人の愛国心に訴えるこのウソの訴えは絶大な効果がありま
して、空前絶後とも言える暴動が発生した、というところから今日の物語が続
くわけであります。
 一旦暴動が起きますと、収まりがつきません。群衆心理と言うのでしょうか。
32節にあるように、一人一人は「何のために集まったか」さえ分からないのに
、「生贄の子羊」を求めて殺到するのです。野獣のごとくに、です。そして、
パウロの同行者を生贄の子羊としようとしました。パウロには、ヨハネという
助手(ヒュペーレテース)がおり(13:5)、またテモテという弟子(マセーテース)
もいましたが(16:1)、ここでの同行者(シュネクデーモス)はそのどちらでもな
く、「ともに旅する者」だけの意です。ただの一時的関係者でさえ、生贄の子
羊としようとしたのです。パウロが殺されて、キリスト教の異邦人伝道が一時
的に挫折する可能性もあったのです。
 パウロ自身はこの出来事について、直接ではなくとも、示唆しているでしょ
うか。パウロはエフェソでの「苦難」について3か所で触れています。Tコリ
ント16:9では「エフェソには反対者がたくさんいる」と言っています。また、
Uコリント1:8以下では「わたしたちはアジア州で、生きる望みさえ失う苦難
を被った」と書いています。が、もう1箇所のTコリント15:32で、「エフェソ
で野獣と戦った」と、書いているのです。
 この3か所とも、この暴動に巻き込まれた出来事を言っている、と思われま
す。確かに「生きる望みさえ失う苦難」だったでしょう。そして、「エフェソ
で野獣と戦った」という不思議な表現については、実際に野獣と戦ったのでは
なく、『野獣のようになった群衆』と戦ったことを言っているのだ、と思われ
ます。厳しい戦いでした。が、それでも、コリント教会のケースと違って、教
会は消滅しはしない。何と健全なる権力の側から助けが与えられる、というの
が、使徒言行録の著者の、この物語後半のメッセージなのです。

33〜40節「そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、
群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かっ
て弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人である、と知った群衆は一斉に、
『エフェソ人のアルテミスは偉い方』と、2時間ほども叫び続けた。そこで、
町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉
大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知
らない者はないのだ。これを否定することはできないのだから、静かにしなさ
い。決して無謀なことをしてはならない。諸君がここへ連れて来た者たちは、
神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒?したのでもない。デメトリオと仲間
の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地
方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。それ以外のことでさらに要求
があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。本日のこの事態に関し
て、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何
一つ弁明する理由はないからだ。こう言って、書記官は集会を解散させた。」

 まず最初に、33節と34節に触れておきましょう。アレクサンドロなるユダヤ
人が出て来て、弁明しようとしました。何を弁明しようとしたのでしょうか。
アレクサンドロなる人物については、4:6に大祭司一族の一人としてその名が
出てきますが、大祭司一族がエフェソにいるわけはなく、とうてい同一人物で
ある、とは考えられません。その他の新約聖書では、テモテ一1:20とテモテ二
4:20にアレクサンドロなる人物が登場しますが、この人は、クリスチャンで
あって悪魔に引き渡された人物、用心すべき人物として描かれています。
 アレクサンドロがそういう人物として描かれている、ということは、ここに
登場するアレクサンドロがキリスト教にとって良くない人物であったことに由
来する可能性があります。
 おそらく、偶像冒?の罪をキリスト教に着せよう、としたのではないでしょう
か。暴動の時、しばしばこういう行動をとる者がいるものです。
 この行動そのものは顰蹙を買ったようですが、つまり、企みは成功しません
でしたが、群衆の興奮は、火に油を注がれる状態となりました。

(この項、続く)



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