2017年02月05日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第63回「使徒言行録19章21〜22節」
(14/1/19)(その2)
(承前)

 パウロはテモテの報告を心待ちにしていました(Tコリント16:11)。しかし、
テモテがどのような報告をもたらしたのか、いや、そもそもテモテが帰って来
たのかどうなのかさえ、使徒言行録にもコリントの信徒への手紙一、二どちら
にも記されておりません。来なかったのかもしれません。帰って来たとしても、
書くことのできないくらい悪い知らせだったのでしよう。
 その後の経過について、今日のテキストの範囲は超えますが、20章につなげ
るために少し触れておきましょう。
 まず第一、Uコリント13:1によれば、パウロは、第二伝道旅行の時のコリ
ント滞在と、第3伝道旅行の目的地としての訪問に加えて、これら2つの訪問
の間に、もう一度コリントを訪れていることが分かります。使徒言行録には示
唆さえされない訪問、一体どんな訪問だったのか。
 それは、Uコリント13:2を見ればわかります。Uコリント13:2には、「以
前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの滞在中に前もって言って
おいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行っ
たら容赦しません。」とあります。2回目の訪問の時、パウロは、コリント教
会で罪を犯した人を責めたのです。
 さらにパウロは、「涙の手紙」と呼ばれる手紙を書きました。その手紙につ
いてパウロは、Uコリント2:4で、「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、
涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、私があ
なたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。」と
記しています。また、7:8では「あの手紙によってあなたがたを悲しませた
としても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなた
がたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んで
います。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。」
とも記しています。
 これらから分かることは、もう一度の訪問、そして、「涙の手紙」と言われ
る手紙を通して、パウロはコリント教会の罪を徹底的に攻めたのだ、と言うこ
とです。それは、厳しいもので、パウロもなきましたが、コリント教会の人も
悲しむほどのものでした。
 なぜ、パウロはそんなにも厳しいのでしょうか。それは、コリント教会の罪
が異邦人伝道そのものを揺るがしかねないものであると同時に、コリント教会
の人が悔い改めなかったからです。罪を犯すことは、あえて言えば仕方ありま
せん。しかし、問題は悔い改めないことなのです。
 テモテの訪問は、そのコリントの人々のかたくなさを暴露しました。もとも
と神を知らない世界に生きてきた異邦人、最も大きな罪は、実はかたくなさ
だったのです。
 パウロは苦闘しつつ、この問題をエフェソにて乗り越え、コリント教会に悔
い改めをもたらし、来るべき、「本当のコリント訪問」に備えました。伝道の
栄光の陰に、見えない努力、血を吐くような努力があったのです。私たちはそ
れを忘れてはいけません。
 しかし、このエフェソでの、パウロの、コリント教会についての苦闘に、使
徒言行録が全然触れていないのはどうしてでしょうか。第三伝道旅行の目的地
が、コリントであるはずなのに、なぜなのでしょうか。
 もう一度21節、22節を見てみましょう。気になる語は、一つはローマ、もう
一つ、いや2つはエルサレムとマケドニア州です。
 ローマはパウロの伝道の最終目的地であり、目標です。パウロの目指してい
るのは世界伝道、異邦人伝道である、と言うことです。ルカの沈黙はここと関
連します。異邦人伝道を目標に掲げたとき、コリント教会の罪は許されない罪
なのです。パウロはこの罪と戦いました。しかし、使徒言行録の著者であるル
カは、「沈黙」をもってこの罪を断罪したのです。
 一方その異邦人伝道は、エルサレム教会抜きにはなされない、と言うことも
認識されねばなりません。なぜなら、エルサレム教会は、イエスの十字架と復
活の証人だから。そして、そのエルサレム教会重視のあかしが献金なのです。
異邦人伝道は、エルサレム教会への献金という実を結ばねばなりません。マケ
ドニア州は、なぜ入っているのか、不思議に思われたでしょうが、献金行脚の
目的地だったのです。
 私たちも目的を見定めて、歩みを進めるべきです。そこになすべきこと、許
されぬことが明らかとなってまいります。

(この項、完)



(C)2001-2017 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.