2017年01月29日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第63回「使徒言行録19章21〜22節」
(14/1/19)(その1)
21〜22節「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州
を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見
なくてはならない』と言った。そして、自分に仕えている者の中から、テモテ
とエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にと
どまっていた。」
今日のところは大変に短いところなのですが、パウロの第三旅行の全体像を
知る上で大切な資料であるばかりでなく、実は、パウロとコリント教会との関
係について探る上でも重要なヒントを与えてくれる箇所ですので、心して読ん
でまいりたい、と思います。
まず第三伝道旅行との関係です。そもそもの第三伝道旅行の目的を振り返っ
ておきたい、と思います。アンティオキアでしばらくの充電期間を過ごした後、
パウロは第3伝道旅行に出発いたしました。「旅に出て(18:23)」としか書かれ
ておりませんで、この第3伝道旅行の規模も、性格も、そして何よりも目的が
よく分かりません。しかし、最初に行った地が「ガラテヤやフリギア(18:23)」
であることから、この旅行の目的が分かるのです。ガラテヤの諸教会とは、ガ
ラテヤの信徒への手紙から明らかなごとく、多くの困難な問題を抱えた教会で
した。パウロがその教会へ真っ先に行ったということは、パウロの第3伝道旅
行の目的が、「教会内部の諸問題の解決」にあったことを明らかにしている
のです。そして、「教会内部の諸問題」と言えば、何と言ってもコリント教
会が最初にしてもっとも深刻に抱えた課題です。第3伝道旅行の本当の目的地
は、実は、この旅行中一度しか(19:1)名前のあがらないコリントだったのです。
使徒言行録の著者であるルカは、すでに18:24以下でアポロを登場させ、
19:1で、アポロがコリント教会にすでに行っていたことを報告して、コリン
ト教会でアポロが絡んだ問題が起きていることを示唆していますが、パウロは
エフェソ伝道を続けていました。しかし、実はコリント教会に問題があること
を知り、悩んでいたのです。
パウロ自身は、コリント教会にいろいろな問題があることをいつごろ知った
のでしょうか。
使徒言行録には、コリント教会に問題があったことさえ、「あからさま」に
は触れられていませんので、このあたりから私たちは、パウロの足跡を辿るた
めにコリントの信徒への手紙の助けを必要とすることとなります。
Tコリント1:11によれば、パウロは「あなたがたの(コリント教会の)人たち
の間に争いがある」と、クロエの家の人から聞かされました。これが最初です。
クロエ家がどこにあったかは分かりませんが、パウロがこのことを聞いたのは、
エフェソで、に間違いありません。それで、パウロは、エフェソでコリントの
信徒への手紙一を書きました。
ところが、Tコリント5:9によると、パウロは、この手紙の前にコリント
教会に別の手紙を書いていて「みだらな者と交際してはいけない」と書いて
いたことが分かります。
そうすると、この別の手紙がいつ書かれたか、は分かりませんが、パウロは
クロエの家の人から聞かされるのとは別に、コリント教会に問題があることを
知り、心を痛めていたと考えられます。
それでパウロは、コリント教会に手紙を出すだけでは済みませんで、自分も
コリントへ、アカイア州と書いてあるのはコリントの意味です、行くことを決
心し、そしてその前に、テモテとエラストの二人をコリントに派遣したのです。
18節で、「マケドニア州に送り出し」と記されていますが、21節でパウロ自身
がそうする、と言っているように、「マケドニア州経由でアカイア州(コリン
ト)へ」の意味です。
使徒言行録にはそれだけのことしか書かれていません。が、コリント教会の
問題とは実に深刻な問題だったのです。
パウロがクロエの家の人から聞かされたことは、教会の中に争い、内部分裂
がある、と言うことでした。これにアポロが絡んでいました。
また、パウロが別の手紙を書いて注意したことは「みだらな者との交際」で
した。みだらな者というと、何のことかわかりませんが、原語を見ると「ポル
ネイア」でして、そのまま訳せば「姦淫」、おそらくコリントの神殿で行われ
ていた売娼行為にかかわることだ、と思われます。偶像礼拝時代には許された
かもしれませんが、クリスチャンになってもそれにかかわる人がいたことが示
唆されています。
こう言った問題に対して、倫理の問題としてはもちろんですが、信仰の問題
として、すなわち、十戒に違反することとして、パウロが書いた警告の手紙が、
コリントの信徒への手紙一であり、そして、その結果の確認が必要であったた
め、調査、報告をテモテに依頼したのです。すなわち、コリント教会の問題と
は、異邦人伝道の成果を無にしかねない深刻な問題だったのです。神を礼拝せ
ずに、人を礼拝し、偶像礼拝から自由になったはずが、全然自由になっていな
いのですから。
(この項、続く)
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