2017年01月15日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第62回「使徒言行録19章11〜20節」
(14/1/12)(その1)

11〜12節「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。彼が身に着
けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒され、悪
霊どもも出て行くほどであった。」

 パウロの第3伝道旅行の記事を読んでいます。パウロの第3伝道旅行の目的は、
使徒言行録にはあからさまには書かれていませんが、あくまでも教会内で起
こった問題と取り組むことでした。目標はコリント教会にあります。しかし、
コリント教会にたどり着く前に、いやコリント教会の問題を抱えているからこ
そ、彼は、エフェソの地で教会形成に励むこととなります。
 先週のところを振り返って見ましよう。パウロは、エフェソでも、いつもの
ように、すなわち第一伝道旅行以来、異邦人伝道においては必ずそうしている
ように、現地のシナゴグでのユダヤ人向けの伝道を始めました。この伝道は、
エフェソのシナゴグがまだ未組織であり、おそらく建物を持たない自由な集ま
りであったことも幸いして、多くの改宗者を得ることができ、大成功を収めま
した。しかし、その陰には、すでに形成されていた教会の祈りと支えがあった
のです。エフェソでのパウロのシナゴグ伝道は、実は出張伝道だったのです。
 その後、パウロは、出張伝道先を「ティラノという人の講堂」と呼ばれる場
所に変えました。ここは、今でいう「学校」です。毎日、午前11時〜午後4時
まで、とも言われていますが、講義が行われました。パウロも大変だったこと
でしょうが、教会は主日の礼拝を守りつつ支えました。
 この学校伝道は2年も続いたので、「アジア州に住む者は、ユダヤ人であれ
ギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった(19:10)」のですが、
この働きを支えたのも教会だったのです。
 そして、エフェソの教会は、パウロの伝道を支えることによって成長してい
きました。つまり、エフェソ伝道は、エフェソ教会の成長の過程でもあったの
です。
 今日は、私たちが必ず触れねばならない「コリントの問題」にはいる前に、
使徒言行録の記事の順序に従ってて、もう一つのエフェソ教会の成長の物語に
触れておきたい、と思います。今日の物語を読んで、「えっ、今日の物語のど
こが『エフェソ教会の成長物語』なの?」と思われた方も多いことと思います
が、じつはそうなのです。いよいよ種明かしです。
 少し話は遡りますが、パウロの第2伝道旅行は、エーゲ海を越えて、ギリシア
本土での伝道が目的でした。パウロはここで世界伝道の新たな一歩を踏み出し
たのです。
 では、小アジアとギリシアとどこが違うのでしょうか。それは、現代の私た
ちが考えるような、アジアとヨーロッパとの違いではなく、当時においては、
ユダヤ教の影響力の大小です。
 小アジアにおいては、やはり陸続きですから、ディアスポラのユダヤ人も多
く生活しており、どの町にもシナゴグがあり、ユダヤ教の考え方もかなり浸透
していたことと考えられます。つまり、一神教、この世界は一人の神の支配の
下にある、という考え方です。
 しかし、海を越えてギリシア本土まで行きますと、たとえユダヤ人は住んで
いたとしても、「マイノリティー」です。ユダヤ教の影響力は小さく、人々は
多神教、すなわち、偶像礼拝の世界に生きているのです。
 そこでパウロは、第二伝道旅行において、多神教の世界と直面しながら、
ローマ伝道の法則を確立していったのでした。それは、16章のフィリピ伝道の
講解で触れたように、その第一は、偶像礼拝からの解放、第二は、第一と関連
しますが、偶像礼拝に関連して、「霊」に取りつかれている人、この「霊」は、
その人の自由を奪う、という意味において「悪霊」ですが、その人への「悪霊
祓い」、そして第三に、もともと持っていらした「カミ(大いなるもの)への
畏れ」を言わば「窓口」として、主イエスを信じる信仰へと導くこと、そして
第四は、伝道の手続きの問題ですが、あくまでも「ローマの法」に則って伝道
が進められるべきである、ということでした。ギリシア伝道、すなわちローマ
伝道、それは多神教に生きる世界への伝道であったのですが、は、偶像礼拝か
らの解放をもっとも大きな課題としていたのです。
 さて、話をエフェソに戻しますが、エフェソの町は、小アジアにある町です
が、ギリシアの植民市から発展した町であるせいでしょうか、ユダヤ教の影響
力も比較的弱く、先週申し上げましたように、シナゴグも、少なくとも建物は
ない町でした。と言うことは、この町は、ギリシア本土と同じく、多神教の世
界に生きていたのです。
 そこでパウロは、ローマ伝道の第一、第2の課題を受け止めて、悪霊祓いを
行っていた、ということです。偶像礼拝からの解放をもたらすためです。

(この項、続く)


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