2016年12月18日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第60回「使徒言行録19章1〜7節」
(13/12/29)(その2)
(承前)

 この物語を聞いて、私たちに浮かぶまず第一の疑問は、アポロなる人物が、
なぜ突然シナゴグでユダヤ人相手にイエスがメシアであることを熱心に教え始
めたか、とういう点です。この点について、エルサレムなり、アンティオキア
なりの教会で指導を受けたという形跡はありません。イエスについておおよそ
のことを聞いたという体験はあったと思いますが、(ないと、イエスの名さえ
出てきませんから、)自分で聖書(旧約聖書)を研究して、そして「イエスこそ
メシアである」という結論、信仰に行き着いたのだ、と考えられます。素晴ら
しいことです。
 しかし、第二にそれでは、それでも彼に欠けていたものとは何だったので
しょうか。それは、彼が「バプテスマのヨハネの洗礼」しか知らなかったゆえ
に起こったことです。年代的に見て、彼がバプテスマのヨハネから直接洗礼を
受けた、とは考えらません。バプテスマのヨハネの弟子から洗礼を受けたので
しよう。すなわち、彼は「バプテスマのヨハネこそメシアである」と信じるグ
ループに属していたのです。
 しかし、彼は、聖書(旧約聖書)の研究から、それが間違っていることに気づ
き、おそらくそのグループを抜け、「イエスこそメシアである」と言い出した
のでしょう。しかし、教会生活をしていないがゆえに、聖餐を通してイエスの
死と復活に与る体験をしていない。そこが欠落していたのだ、と考えられます。
プリスキラとアキラとは、聖餐を教えたのでしょう。
 洗礼そのものは、バプテスマのヨハネのものであっても有効です。そこで、
彼は教会生活を通して聖餐に与ることによって、「クリスチャン」としての歩
みを始めることとなったのです。
 さて、パウロがエフェソに行ってみたところ、エフェソには他にもアポロに
似た人がいたのです。話はそこから始まります。

2〜7節「パウロは内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子
に出会い、彼らに、『信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか』と言うと、彼
らは、『いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません』と言った。
パウロが、『それなら、どんな洗礼を受けたのですか』と言うと、『ヨハネの
洗礼です』と言った。そこで、パウロは言った。『ヨハネは、自分の後から来
る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けた
のです。』人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが
彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をし
たりした。この人たちは、皆で十二人ほどであった。」

 エフェソの教会は、パウロが来るまでの間、プリスキラとアキラによって養
われてきました。そこには、多くの仲間が加えられたことと思われます。です
から、パウロはエフェソに到着したときに、真っ先に教会の仲間、クリスチャ
ンに出会うこととなりました。そのクリスチャン仲間、「弟子」とはその意味
です、の中のある者たちに、あるときパウロが、「信仰に入ったとき、聖霊を
受けましたか」と聞いたのです。パウロはおそらく何気なく、何の下心もなく
聞いたことと思われます。「信仰に入ったとき」とは、洗礼を受けたときの意
ですから、言い換えると「洗礼を受けたとき、聖霊を受けましたか」という意
になります。
 パウロとしては、ごく当たり前のことを、ほとんど「確認」の意味で聞いた
にすぎません。なぜなら、初代教会は、始まって以来、「悔い改めなさい。め
いめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさ
い。そうすれば、賜物として聖霊を受けます(使徒言行録2:38)」との原則に
従って洗礼式を執行してきたからです。クリスチャンなら、例外なく聖霊を受
けているはずだ、ということです。
 ところが、返ってきた答えは意外な答えでした。「いいえ、聖霊があるかど
うか、聞いたこともありません。」きちんと洗礼を受けていたならば、あるは
ずのない返答です。そこでパウロが「それなら、どんな(何に至る)洗礼を受け
たのですか」と再質問したところ、「ヨハネの洗礼です」という答えが返って
きたのです。
 パウロは「それなら、どんな(何に至る)洗礼を受けたのですか」と聞いたの
に、「ヨハネの洗礼です」が答えでした。問題はだれから受けた洗礼か、では
なくて、何に至る洗礼か、だったのです。この人たちはそれが分かっていな
かったのです。
 と言うのは、「ヨハネの洗礼」も、ヨハネの「勧め」によれば、本来「聖霊
の付与」に至るはずのものだったのです。ルカ3:16でヨハネは次のように
言っています。
 「わたしはあなたたちに水でバプテスマを授けるが、私よりも優れた方が来
られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は聖霊と
火であなたたちに洗礼をお授けになる。」

(この項、続く)



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