2016年12月04日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第59回「使徒言行録18章24〜28節」
(13/12/15)(その2)
(承前)

 で、この世界都市には、ユダヤ人も多く住んでいまして、5街区の中、2街区
はユダヤ人が占めていたと言われます。ただ住んでいただけではなく、ヘレニ
ズムユダヤ教という文化も発達させ、実は「LXX」は、アレクサンドリアの
ユダヤ人が生み出したものなのです。ついでですが、アレクサンドリアのユダ
ヤ人社会は、フィロ(ないしはフィロン)という偉大な哲学者をも生み出しまし
た。こういう言い方をすると、著しく抽象的ではありますが、ギリシア精神と
ユダヤ教との一体性を探ることを生涯の課題とした偉大としか言いようのない
人です。
 さて、アポロが「アレクサンドリア生まれの、ユダヤ人の雄弁家」であった、
と聞くと、同時代人(15B.C.c〜A.D.45c)であったフィロの弟子か、と色めき立
つ人もいるか(全く色めき立たない人が大部分でしょうが)とは思いますが、そ
の根拠は全くありません。「雄弁家」とは「哲学者」のことではありません。
「雄弁家」と訳されている語の原語は「アネール・ロギオス」は、そのまま訳
せば「言葉の人」、つまり、当時ギリシア世界ではだれでも勉強した「修辞学」
つまり「弁論術」を身に着けた人、という意味しか持たないからです。
 ともかくアポロは、普通に教養を身に着けた人でした。もちろんユダヤ教徒
です。
 しかし、彼は「聖書に詳しい」という大変な強みを持っていました。ここで
言う聖書は、お分かりでしょうが、旧約聖書です。「LXX」を頭の中に叩き
込んでいたのでしよう。ここではそれだけのことしか言っていないのですが、
それが、後に役に立つこととなります。
 さて、大事なのはここから先です。彼は「ヨハネのバプテスマしか知らな
かった」のです。ここで言う「知らなかった」については、「知識として知ら
なかった」という解釈と「体験がなかった」という解釈とがありますが、おそ
らく後者でしょう。つまり、彼は「バプテスマのヨハネの洗礼」なるものを受
けていたのです。「バプテスマのヨハネの洗礼」については皆さまよくご存知
のように、「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか
(ルカ3:7)」と叫んで、バプテスマのヨハネがヨルダン川で授けていた「悔い
改めの」洗礼です。イエスご自身も受けられた洗礼です。問題は、この「バプ
テスマのヨハネの洗礼」なるものをアポロが、20数年前にバプテスマのヨハネ
自身から受けたのか、あるいはバプテスマのヨハネの弟子から受けたのか、で
す。アポロはこの時点で伝道の意欲に燃えていますので、おそらく若かったで
しょう。年齢的に考えて、バプテスマのヨハネの弟子から受けたのではないで
しょうか。
 となると、大変な問題が起こってきます。バプテスマのヨハネは、「わたし
よりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひも
を解く値打ちもない。わたしは水であなたたちにバプテスマを授けたが、その
方は聖霊でバプテスマをお授けになる(マルコ1:7〜8)」と言って、自分の宣教
は「来るべき方」への備えであること、よってイエスの到来と共にその使命を
終えることを言っていました。なのに、アポロがバプテスマのヨハネの弟子か
らバプテスマを受けたとすると、バプテスマのヨハネの死後、イエスの到来の
後もバプテスマのヨハネの宣教を受け継いで、バプテスマを授け続けている人、
グループが存在し続けていた、ということを意味することになるのです。
 この人たち、一体何なのでしょうか。たぶん、バプテスマのヨハネこそメシ
ア、救い主である、と信じ、ということはイエスをメシアである、と認めな
かったグループです。
 そのグループの明らかに一員、正式メンバーでありながら、アポロは「主の
道を受け入れ、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」のでし
た。アポロは、いったいどこで、キリスト教の勉強をしたのでしょうか。「彼
はエルサレムに行ったことがある」とか「アレクサンドリアにもキリスト教の
伝道者が来た」といった説は全く根拠のない憶測にすぎません。それよりも、
アポロは「聖書に詳しい」人でしたから、聖書(旧約聖書)の学びから「バプテ
スマのヨハネはメシアではない。イエスこそメシアである」とのメッセージに
行きついたのでしょう。その可能性の方がよっぽど高い、と言えます。もちろ
んイエスの宣教のことばが広く伝えられている(使徒言行録2:10)ことが必要条
件ではありますが…。

(この項、続く)



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