2016年11月27日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第59回「使徒言行録18章24〜28節」
(13/12/15)(その1)

24節〜26節前半「さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しい
アポロという雄弁家が、エフェソに来た。彼は主の道を受け入れており、イエ
スのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネのバプテスマしか
知らなかった。このアポロが会堂で大胆に教え始めた。」

 前回は、パウロの第2伝道旅行と第3伝道旅行のつなぎの部分を学びました。
1年半有余に亘るコリントでの伝道、教会形成の働きを無事終え、パウロはプ
リスキラとアキラを伴って一旦エフェソに落ち着きます。
 エフェソでパウロが伝道するのは、初めてのことですので、シナゴグでの伝
道から始まりますが、将来のエフェソでの「よい教会形成」の感触は得られた
ようです。
 そして、パウロは、伝道の出発地であるアンティオキアへ戻って行ったので
した。これで第二伝道旅行は終わりです。
 私たちが用いている「新共同訳聖書」によれば、パウロはアンティオキアへ
帰る途中、「エルサレムへ上った」とはっきり書かれてしまっていますが、こ
れは先週詳しくご説明申し上げたように、テキスト的には不明です。「エルサ
レムへ上った」とも読めるし、「(ただ単に)上陸した」とも読めるのです。
諸般の情勢を考えると、パウロは99パーセントこの時はエルサレムへ上らな
かったであろう、と私は考えていますが、パウロのこれからの活動が、エルサ
レム教会と連携しながら、少なくとも意識しながらなされていったことは確か
です。
 アンティオキアでしばらくの充電期間を過ごした後、パウロは第3伝道旅行
に出発いたしました。「旅に出て(18:23)」としか書かれておりませんで、こ
の第3伝道旅行の規模も、性格も、そして何よりも目的がよく分かりません。
しかし、最初に行った地が「ガラテヤやフリギア(23節)」であることから、
この旅行の目的が分かるのです。ガラテヤの諸教会とは、ガラテヤの信徒へ
の手紙から明らかなごとく、多くの困難な問題を抱えた教会でした。パウロが
その教会へ真っ先に行ったということは、パウロの第3伝道旅行の目的が、
「教会内部の諸問題の解決」にあったことを明らかにしているのです。そして、
「教会内部の諸問題」と言えば、何と言ってもコリント教会が最初にしてもっ
とも深刻に抱えた課題です。第3伝道旅行の本当の目的地は、実は、この旅行
中一度しか(19:1)名前のあがらないコリントだったのです。そして、「教会内
部の諸問題の解決」のためには、いろいろな意味でのエルサレム教会との連携
が必要だったのです。その点はこれから明らかにしてまいりましょう。
さて、本日のテキストに入ってまいりましょう。
 パウロがアンティオキア教会に帰って、そしてまた戻って来るまでの間、プ
リスキラとアキラはエフェソに残って、おそらく伝道と教会形成に励んでいた
ようです。そこにアポロという人物が現れ、ユダヤ人伝道を始めました。本日
は、このアポロの物語です。第13章で、パウロが第一伝道旅行に出発して以来、
初めてのパウロが登場しない物語です。ここになぜアポロの物語が挿入された
のか、という問題は最後に触れるとして、まず物語そのものを見てまいりま
しょう。
 私たち、読者はアポロなる人物に初お目見えです。そして、話は、そのアポ
ロが何者であるか、というところから始まります。
 アポロなる人物はいかなる人物なのでしょうか。24節〜25節は、短いところ
ではありますが、アポロなる人物について、少なくとも4つの情報を読者に提
供していてくれます。後で忘れてしまわないために、まず、列挙してから、ひ
とつひと見ていきましょう。一つは「アレクサンドリア生まれの、ユダヤ人の
雄弁家」である、ということです。第二は「聖書に詳しい」ということです。
第三は「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」ということです。そして第4は
「主の道を受け入れ、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていた」
ということです。
 まず、アポロが「アレクサンドリア生まれの、ユダヤ人の雄弁家」であった、
ということです。皆様、アレクサンドリアという町をご存知でしょうか。私は
行ったことはないのですが、現在のエジプトのナイル川デルタ地帯にあって地
中海に面した都市です。今でも大都市ですが、新約聖書時代には人口100万を
数える、ローマに次ぐ、地中海世界第2の都市でした。特に、科学、文化、芸
術に優れ、アレクサンドリアの生み出した文化はまさに「世界遺産」そのもの
です。

(この項、続く)



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