2016年11月20日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第58回「使徒言行録18章18〜23節」
(13/12/8)(その3)
(承前)

 第二の疑問です。一行はケンクレアイを船出して、エフェソに来ました。エ
フェソは、ケンクレアイからすると、小アジア側の対岸になりますので、一行
が立ち寄ったとしてもおかしくはありません。立ち寄ったのでしょう。しかし、
エフェソでパウロは初お目見えです。第二伝道旅行の途上、聖霊に「御言葉を
語ることを禁じられ」て、行かなかった、行けなかったところです(16:6)。
ですから、シナゴグでの伝道から始まったのでしょう。アクラとプリスキラは、
もうすでに教会の信徒ですから、シナゴグに行けなかったでしょうし、行くべ
きではありません。
 しかし、わずかの「論じ合い」で、人々、ユダヤ人でしょう、が、パウロに
「しばらくの滞在」を懇願し、パウロがそれを「ヤコブの条件(ヤコブ4:15)」
をもって泣く泣く断るような、そんな関係になりえたか、というと、もうすで
にユダヤ教徒ではないパウロにとっては、ありえません。今回は、せいぜいシ
ナゴグでの論争をして、伝道に手を付けた程度のことだったのです。ではなぜ、
ルカはこのような事実ではない記事を書いたのでしょうか。それは、嘘ではな
く、第3伝道旅行においてエフェソに教会が形成され、そこで豊かな「主にあ
る交わり」が形成されて、起こった出来事だったのです(20:17以下)。ルカは、
第3伝道旅行の時に起こったことをここに書くことによって、エフェソの伝道
が将来このような実を結ぶことを、ほのめかしているのです。
 事実としては、今回は、パウロはアンティオキアへの道を急ぎます。ところ
が22節によると、パウロは途中、わざわざエルサレムへ行って、教会に挨拶し
ました、と記されています。本当にそんなことがあったのでしょうか。エルサ
レムへ行ったら21章以下のように、パウロは捕えられて、もうこれ以上伝道活
動できなかったのではないでしょうか。この第三の疑問は大変重大な疑問です。
心して解き明かす必要があります。解決のヒントは、実はルカの文章自体は、
「エルサレムへ」とは書かれてはいないことにあります。「アナバース(上る)」
としか、書かれていません。この言葉に「エルサレムに上京する」という隠れ
た意味が当時あったことも事実です。しかし、「上陸する」の意味でもありま
す。読む人によっては「エルサレムへ上京した」とも読める。しかし、別の人
によっては、「上陸した」とも読める。そして、事実は「上陸した」だけだっ
たのです。
 なぜ、ルカはそんな手の込んだ仕掛けを作ったのか。それは、ルカが「パウ
ロがエルサレムへ行った」とも取れる記事を書くことによって、パウロがエル
サレム教会との連携を忘れていないことを指摘したのです。ルカは、パウロの
第3伝道旅行がエルサレム教会との連携の下になされたことを示したかったの
です。
 ともかく、事実は、パウロはアンティオキア教会へ落着き、次の第3伝道旅
行の準備をし、出発しました。
 そして、その最初の訪問地が、ガラテヤ、フリギアでした。なぜ、ガラテヤ、
フリギアだったのでしょうか。これが第4の疑問です。なぜ、一番気になって
いるヨーロッパ伝道に真っ先に行かなかったのでしょうか。それは、あくまで
も推測ですが、ガラテヤ、フリギアの教会も問題を抱えていたからではないで
しょうか。ガラテヤ、フリギアの教会が抱えていた問題とは、ガラテヤの信徒
への手紙によれば、エルサレム教会から来た「ユダヤ主義者」が教会を混乱さ
せた、ということでした。この問題への対応に、パウロはエルサレム教会との
連携がなくてはならなかったのです。
 第3伝道旅行は、エルサレム教会との連携の下での、教会の抱える諸問題へ
の対応、という形で始まりました。今までの問題の中で一番困難な問題です。
しかし、エフェソの伝道が将来豊かな実を結ぶことが示されているごとく、
きっと解決することでしょう。私たちも、与えられる実の確かさを覚えつつ、
励んでまいりましょう。

(この項、完)



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