2016年10月23日

〔使徒言行録連続講解説教〕

12〜13節「ガリオンがアカイア州の地方総督であった時のことである。ユダヤ
人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、『この男は、
律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております』
と言った。」

 パウロがコリントに滞在している間での出来事です。ガリオンという人物が、
コリントをも含むアカイア州の地方総督として赴任してきました。その在任中
に、パウロはユダヤ人に捕えられて、その法廷に引き出される、という事件が
ありました。今日は、その事件についての学びです。
 最初に、ガリオンという人物、そして、彼がアカイア州に赴任した時期につ
いて特定しておきましょう。なぜなら、今日の事件の結末は、ローマの官僚一
般、というよりは、ガリオンという人物の素質、個性によるところが大きい、
と考えられるからです。
 彼の本名は、ルキウス・アンナエウス・ノヴァートゥスと言います。が、ユ
ニウス・ガリオという養子となってユニウス・ガリオ・アンナエウスと名乗る
ようになったのです。実家は大変に知的な家で、あの偉大な哲学者の大セネカ
は父、小セネカは弟です。が、あのネロ帝の師にしてブレーンであった小セネ
カを始め、一族は自殺に追い込まれるか、殺されるという運命をたどることと
なりました。ユニウス・ガリオ・アンナエウスも、自殺に追い込まれました。
 「ローマの知性」とも言えるこの一家にあって、ユニウス・ガリオ・アンナ
エウスも知性的な人だったのではないでしょうか。
 次に年代確定ですが、異邦人伝道の使命が次々と達成されていく伝道旅行の
記録に絶対年代の確定は、必ずしも必要不可欠のものではありませんが、今日
のこのガリオン事件のおかげで、パウロの活動の絶対年代が、細かくではあり
ませんが確定できるのです。
 ユニウス・ガリオ・アンナエウスがアカイア州の地方総督に就任したのが、
51年の夏でした。できたばかりのキリスト教会と厳しいライバル関係にあった、
ユダヤ人のシナゴグ派は、新総督の就任以来、訴えることを、つまりローマの
法をもってキリスト教徒を排斥するチャンスを狙っていたでしょうから、今日
の事件は、ユニウス・ガリオ・アンナエウス就任後遅からぬ時期に起こったこ
とでしょう。だとすると51年の秋、9月です。
 逆算して、パウロはそれまで1年6か月を、つまり18か月をコリントで過ご
していますから(11節)、パウロがコントに到着したのは、50年の春、3月のこ
ととなるのです。こうして絶対年代を確定していきますと、聖書の世界の出来
事が生々しくなってまいります。
 そこで次にユダヤ人の、つまりシナゴグ派の訴えの内容を見てまいりたい、
と思います。
 その訴えの内容は、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめ
るようにと、人々を唆している」ということでした。これは、実は大変重大な
告発なのですが、シナゴグ派は、何を問題にし、そしてローマの官憲に何をし
てほしいのでしょうか。
 そもそもユダヤ教は、ローマ帝国の中で、ある程度の信教の自由を得て来て
いました。「不一致の原則」すなわち「帝国の秩序とモラルに反対しない限り、
宗教の自由を認める」という原則に基づく「信教の自由」です。ローマ帝国は、
そもそもは小さな小さな都市国家でしたが、今やその支配は(当時の)全世界に
及び、帝国の中に多民族、多文化、そして多宗教を抱える国となりました。多
民族国家としての支配を有効にするために、打ち立てた原則が「不一致の原則」
だったわけです。ユダヤ教は、かなり伝道しましたので警戒されました。しか
しそれでも一応、「不一致の原則」の認める「公認宗教」の中には入っていた
のです。つまり「信教の自由」を得ていたのです。
 パウロは、ユダヤ人、そもそもはユダヤ教のラビですから、どれだけ主流派、
ファリサイ派と違う考えを述べて、どれだけ激しい論戦、さらには迫害がなさ
れたとしても、それでも「ユダヤ教の一分派」と見られていたことは確かです。
だから、パウロは、ユダヤ教の「信教の自由」の恩恵に与っていたので、シナ
ゴグで話すことができたのです。
 ところが、ここコリントにおいて、パウロらが、つまりキリスト教徒が、経
済的にもシナゴグから独立し、別の建物で「はりあう」となると話は別です。
そこで、シナゴグ派は、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあが
めるようにと、人々を唆している」という言い方をもって、「教会派」は、も
はやユダヤ教徒ではないですよ、つきましては、彼らから「信教の自由」を
奪ってくださいよ、ということを、地方総督に訴え出た、という訳なのです。
 地方総督の対応について触れるまえに、「教会派」、キリスト教徒側の事情
について、前回までの復習も兼ねて、ちょっとだけ触れておく必要があります。

(この項、続く)



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