2016年10月09日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第56回「使徒言行録18章5〜11節」
(13/11/24)(その1)
5節「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語
ることに専念し、ユダヤ人に対して、メシアはイエスであると力強く証した。」
パウロの第2伝道旅行におけるコリント伝道の続きです。
アテネからコリントへ、59.2、約60キロの陸路を、おそらくテクテクテクテク
歩いて入城したパウロは、コリントで、アキラとその妻プリスキラを訪ねまし
た。ユダヤ人クリスチャンである彼らは、そして、異邦人とユダヤ人の信徒が
混在しているローマの教会で入信した彼らは、異邦人伝道を志すパウロにとっ
て、よきパートナーとなりました。
しかし、この二人との出会いは、パウロにとって、パートナーを得るにとど
まらない、大きなものをもたらしました。パウロは二人の家に住み込み、仕事
を得たのです。現代人の我々からすると、パウロのこの行動は、「パウロがコ
リント長期滞在の用意をした」としか映らないかもしれません。しかし、この
行動はパウロにとってはそれよりはるかに大きな意味を持っていました。パウ
ロは二人の家に住み込み、仕事を得ることにより、シナゴグから独立する布石
を打ったのです。
どういうことでしょうか。
パウロは、アンティオキア教会から第一伝道旅行に送り出されて以来、異邦
人伝道が彼の使命であるにも関わらず、伝道地において、シナゴグのあるとこ
ろでは、例外なく、真っ先にシナゴグを訪ねてきました。ヨーロッパででもそ
うです。アテネにおいては、シナゴグ訪問の記事がありませんが、それは行か
なかったということを意味しません。
なぜでしょうか。
一つには、シナゴグ訪問にパウロの思いがあるからでしょう。異邦人伝道を
目指しつつも、またそうであるがゆえに、「選びの民」イスラエルには落伍者
となっては欲しくないのです。イエスがメシアであることを受け入れてほしい
のです。この思いはパウロの一生を通しての変わらぬ思いです。それゆえシナ
ゴグに足が向くのです。いつまでもユダヤ教から「足抜け」ができない、とい
う意味ではありません。
が、パウロのシナゴグ訪問には、もう一つの意味がありました。それは経済
問題です。イエスも含めて、ユダヤ教の伝統に立つ巡回伝道者は、パンも金も
持たず、それらは行き先の伝道地で供給されることが期待されるものでした。
だいたい預言者がそうです。
パウロを待つまでもなく、ユダヤ人の居住地が全世界に広がるようになると、
ユダヤ教の巡回伝道者はそこここに建てられたシナゴグを巡って伝道しました。
そして、シナゴグには、それらの伝道者の生活を支えることが期待されたので
す。パウロは、キリスト教の伝道者とは言えども、ユダヤ教の伝道者の伝統に
立つ者として、その伝統に従ったまでなのです。結果、シナゴグ巡回によって
パウロの生活は支えられてきたのです。
しかしながら、ユダヤ教と訣別されてまで、棄てられた者の友となられたイ
エスに倣って、本気で異邦人伝道を目指すならば、伝道者は一旦は、シナゴグ
とも訣別せねばなりません。なぜなら、「本物の異邦人」はユダヤ教の伝統と
は全く関わりのないところにいるからです。創造主なる神を全く知らない世界
に生きているからです。
以上のことはパウロも十重承知のことでしたでしょう。しかし、シナゴグを
完全に出てしまったら、自力伝道をしているパウロは、どうやって伝道資金を
調達したらよいのでしようか?そこにパウロのジレンマがあったのです。
パウロの立場に立ってみると分かるごとく、パウロが仕事と住居を得た、と
いうことは、念願の「シナゴグ独立」の条件が整えられた、うれしい嬉しい出
来事だったのです。
しかし、完全にシナゴグから独立するためには、蓄えが必要です。パウロは
しばし、仕事に専念せざるを得なかったのです。
しかし、シラスとテモテの到着がパウロの活動を一歩前進させました。
シラスとテモテとを伴って始まったパウロの第二伝道旅行でしたが、二人はい
つもパウロと共にいたわけではありませんでした。ヨーロッパに渡るまでは三
人は行動を共にしていました。しかし、フィリピでパウロとシラスだけが投獄
されてから、パウロはシラスだけと共に、テサロニケそしてベレアに行きます。
が、フィリピ・ベレア間で別行動を取ったテモテは、間もなく追いついていま
すから、おそらくフィリピの教会の牧会をしていたことでしょう。
ベレアで合流した三人ですが、アテネからコリントへは、パウロだけが回り
ました。
テモテに関しては、Tテサ3:1〜5から、一旦アテネに行ってパウロと合流し、
アテネからテサロニケに牧会のために派遣されたことが分かっています。です
から、テサロニケで牧会していたのでしょう。そして再びパウロの許へ向かう
途中、どこかでシラスと合流し、そしてすでにコリントについていたパウロと
合流したのです。
(この項、続く)
(C)2001-2016 MIYAKE, Nobuyuki &
Motosumiyoshi Church All rights reserved.