2016年10月02日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第55回「使徒言行録18章1〜4節」
(13/11/17)(その2)
(承前)

 アテネからコリントまでは、59.2、約60キロの陸路です。私は行ったことは
ないのですが、幅が4キロ〜5キロほどしかない地峡を挟んで、東がサレニコ
ス湾、西がコリントス湾と、東西2つの湾を抱えております。そして紀元前
7〜6世紀ごろ、この2つの湾をつなぐ「ローラー運搬路」が造られたことで、
コリントは、地中海の東側と西側をつなぐ流通の拠点として栄えました。
 しかし、ローマに逆らったことにより、紀元前146年にローマに占領され、
市街は灰燼に帰し、市民は殺されるか、奴隷にされるかされました。コリント
はただの地面に帰してしまったのです。ところが、その100年後、カエサルが
この町を再建して植民都市としたところ、世界中から人々が集まり、前より
もっと豊かな町になったのです。パウロが訪れたのは、再建後80年強経ったこ
ろとなるか、と思われます。どのような町か、私たちはイメージしにくいかも
しれませんが、私は、日本で言うと、立川みたいな町ではないか、と考えてい
ます。このような雑多な人が集まる町で、「世界伝道」としての「異邦人伝道」
が試されることとなるのです。
 このコリント伝道を開始するに当たり、パウロは大事なことをいたしました。
それは、アキラとその妻プリスキラという仲間を見つけたことです。
 アキラとその妻プリスキラですけれども、この時点ですでにクリスチャンで
あった、と考えられます。その理由が2節後半に記されています。アキラとそ
の妻プリスキラは、ポントスという黒海沿岸出身のユダヤ人でしたが、ローマ
で暮らしていました。が、クラウディウス帝(在位41〜54)の「ユダヤ人追放」
命令によって、ローマを追い出され、コリントに来ていたのでした。
 で、このクラウディウス帝の「ユダヤ人追放」命令ですが、これにクリス
チャンが絡んでいたのです。追放のきっかけとなった事件は、ヨセフスによれ
ばこうです。4人のユダヤ人が、改宗者(クリスチャン)である「フルビア」
なる男に、多額の献金をエルサレム神殿に送るよう要求しました。ところが、
4人はそれを着服してしまったのです。この事件をきっかけに、クラウディウ
ス帝は、ローマの全ユダヤ人に追放命令を出しました。49年のことでした。こ
の追放命令のとばっちりを受け、コリントに来ていて、しかもパウロと親しく
なったのですから、彼らは明らかに、ローマで信仰に入ったクリスチャンだっ
たのです。
 パウロはこの二人を訪ねました。何のためでしょうか。シラスとテモテと別
れて、今一人であるパウロが、伝道の仲間を求めたのでしょうか。それもある
かもしれません。しかし、3節によれば、その家に住み込んで、一緒に仕事を
するためだったのです。
 このアキラとその妻プリスキラの家が、ヨーロッパではシナゴグから独立し
た、最初のキリスト教会(の建物)となりました。後に、ユストという人の家に
移りました(7節)。こうしてコリント伝道に当たり、キリスト教徒はシナゴグ
から独立した伝道の拠点を得たのです。
 さらに、パウロとアキラとその妻プリスキラとは一緒に仕事を始めました。
その仕事は「テント造り」でした。しかし、その原語「スケーノポイオス」は、
全聖書中でここにしか出てこない単語なので、仕事の中身、テントを組み立て
る仕事なのか、テントの生地となる皮をなめす仕事なのか等々は全く不明です。
さらに、当時その仕事が人々からどう見られていたか、といった問題になると、
もっと不明です。つまり、パウロがあえてこの仕事を選んだ理由、そして意味
が分からないのです。しかし、分からなくていいのではないでしょうか。この
職業獲得により、パウロはシナゴグから独立する重大な足掛かりを得た、そこ
が大事なのです。
 なぜなら、イエスの宣教指令に見られるごとく(マルコ6:6〜13など)、伝
道者は、パンも金も持たず、それらは行き先の伝道地で供給されることが期待
されていました。異邦人伝道においては、その供給地は第一に現地のシナゴグ
だったのです。パウロがどこへ行ってもまずシナゴグへ行ったのは、生活上の
理由もあったのです。しかし、職業を持つことにより、伝道者はシナゴグ依存
から解放され、キリスト教会がシナゴグから自立する条件が整えられたのです。
もちろん、やがて、教会が大きくなれば、教会の力で伝道者を支えることがで
きるようになるのでしょうが、それまでの辛抱なのです。
 こうして、シナゴグからの独立の条件は整いつつあったのですが、5節によ
れば、パウロは相変わらず、シナゴグで伝道いたしました。しかし、時は満ち
て、シナゴグからの独立をパウロが宣言することとなりました。それは、次回
見ていくことといたしましょう。

(この項、完)



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