2016年09月25日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第55回「使徒言行録18章1〜4節」
(13/11/17)(その1)

18:1〜4節「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、
ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラ
ウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最
近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであった
ので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りで
あった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努
めていた。」

 大変実り豊かなアテネでの宣教活動の後、パウロは、1年6か月もの間、コ
リントに留まりまして、本格的な教会形成を行うこととなります。このコリン
トでのパウロの活動のキリスト教の歴史における意義は、語り尽くす事のでき
ないほど大きなものです。それにしては、使徒言行録の記事は多くはないので
すが、今日から3回にわたって、「パウロのコリント伝道」という『難所』に
して『頂点』に挑戦してまいりたい、と思います。
 だいぶ話は遡りますが、私たちが、教会の暦で「振起日」を迎えて新たな歩
みを始めたときから、使徒言行録の学びもパウロの第2伝道旅行のクライマッ
クス、ギリシア本土の、つまり、ヨーロッパ伝道の学びに入りました。
 ヨーロッパ伝道、素敵な響きをもったフレーズではありますが、肝心の使徒
言行録の著者のルカは、それほどの大きなウエイトをおいておりません。「そ
のころ」という、ルカ独特の時代を区切る言葉が使われていないことから分か
ります。ルカ本人は、ユダヤ本土以外での「異邦人伝道」の流れの一環と見て
いるようです。しかし、ヨーロッパ伝道は、同じユダヤ本土以外での「異邦人
伝道」とは言っても、小アジアでの「異邦人伝道」とは明らかに性質を異にし
ます。それは、ヨーロッパが、小アジアと比べて、ユダヤ教の影響力がはるか
に低い地域である、ということです。旧約聖書も律法も、そして創造主なる神
も全く知らない人々相手の伝道である、ということです。その点、ユダヤや小
アジアと比べて、はるかに「我が国」に近いのではないでしょうか。わたした
ちは、日本でも、今の私たちの教会でも起こりうる出来事として、ヨーロッパ
伝道の記事を読むことができるのです。
 ゆえに、伝道の課題は「偶像礼拝からの解放」ということとなります。そし
て、パウロらの一行は、最初の訪問地フィリピにおいてすでに、「偶像礼拝か
らの解放」をなすための、ヨーロッパ伝道における、4つの原則を確立したの
でした。すなわち、
1.偶像礼拝からの解放
2.イエス・キリストの名による「悪霊祓い」
3.「カミ(大いなるもの)への畏れ」を言わば「窓口」として、主イエスを
 信じる信仰へと導かれる。
4.「ローマの法」に則って伝道が進められるべき。
です。
 そして、このうち、というかメインである「偶像礼拝からの解放」について、
ギリシア人相手にどのように語ったらよいのか、そのコツをパウロは、たまた
まアテネのアレオパゴスでの「弁明」を強いられたことによって、、つかむこ
ととなります。
 その第一は、旧約聖書をもって、アテネ人の偶像崇拝を責めることです。
「そんな真の神でないものに振り回されていないで、創造主なる神を畏れよ」
というお叱りです。これも効果あります。日本人も叱られています。
 もう一つは、ギリシアの場合には、ストア派という哲学グループの人の「信
仰」を窓口として、偶像礼拝を責めたのです。ギリシアの詩人たちが「知らず
して」期待していた救いの出来事が、「知られざる神」であられるイエスに
よって実現したのですから、偶像なんか拝んではいけないのです。
 このような「救いのメッセージ」を、パウロがアテネで獲得することをもっ
て、「異邦人伝道」は、ほぼ完成したようなものなのですが、パウロにはまだ
弱点がありました。それは、かつてユダヤ教徒であったパウロが、ユダヤ教徒
である同胞への愛、同時に「こだわり」をなかなか乗り越えられないのです。
それで、ヨーロッパ伝道においては、旧約聖書も律法も、そして創造主なる神
も全く知らない異邦人に対して「偶像礼拝からの解放」を説くことが第一の使
命であるはずなのに、この後に至っても、ヨーロッパでも、まず最初にシナゴ
グに行ってしまうのです。それで、案の定「ユダヤ人の抵抗」に出会って、苦
労すると同時に「無駄な時間」を取られてしまうのです。実際テサロニケ伝道
はそうして失敗しました。パウロがその「こだわり」を乗り越えることができ
るのか、これが、コリント伝道における第一の課題です。
 この課題に注目しつつ、この課題から外れることなく、以後3回、パウロの
コリント伝道に注目してまいりましょう。

(この項、続く)



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