2016年08月14日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第52回「使徒言行録17章16〜21節」
(13/10/13)(その2)
(承前)
ルカはすでにフィリピで隊列を離れ、テモテとシラスはベレアに残り、パウ
ロをアテネまで連れて来てくれた兄弟たちも帰ってしまって、パウロは一人
ぼっちになってしまいました。テモテとシラス、そして兄弟たちが冷たいから
ではなく、パウロを「逃亡者」としてアテネに送るために、彼らは後始末をせ
ねばならなかったからです。彼らは大変だったと思いますが、一方のパウロは
「暇」でした。で、町のあちこちを見学して回ったのだ、と思われます。する
と、「この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。」これがアテネ伝
道の始まりのきっかけでした。「逃亡者」であるがゆえに、過剰な期待を抱え
ることなく、自由に「見る」ことができた。これがアテネ伝道の「成功」の第
一の要因です。するとそこに、哲学の世界での「栄光」の陰に、あまりにも多
くの偶像に翻弄されている人々の苦しみが見えてきたのです。
それにも拘わらず、彼はシナゴグへ行き、議論します。文献資料によれば、
紀元前2世紀ごろから、アテネにおけるユダヤ人の居住が確認されております。
コミュニティーがあり、シナゴグがあったことは確かですが、アテネのシナゴ
グ、そしてユダヤ人がどのような活動をしていたか、は不明です。シナゴグで
の議論については、一切記録がない中で、そこでは一体何が議論されたので
しょうか。
第一の可能性としては、エルサレムでのユダヤ人への伝道、第一伝道旅行に
際し、小アジアのユダヤ人に福音が語られたことから引き続いて、ユダヤ人に
「イエスこそメシアである」というメッセージが語られた、という可能性です。
ベレアまでの彼でしたらそうでしょう。福音をまずユダヤ人に語りたい、と
いう思いが非常に強いからです。しかし、彼はアテネに「福音宣教者」として
より以前に「逃亡者」としてやって来て、この町の至るところに偶像があるの
を見て憤慨しているのです。翻訳には表れていませんが、憤慨している主語は
パウロではなく「パウロの魂(プネウマ)」です。「魂(プネウマ)」という
語を人間の心の働きの意味で用いているのは、使徒言行録ではここだけで、パ
ウロがいかに「心に深く」憤慨(原語の意味は「いらいらする」)したかが分
かります。また、「議論した」と訳されている語(ディアレゲスサイ)は、あ
くまでも「ディスカッション」を意味します。すると、パウロは今回は、今ま
でと違って、シナゴグで、アテネの町の至るところに偶像があることについて、
ユダヤ人やそこに集っているその他の人と議論したのではないでしょうか。
その結論はどうだったでしょうか。これも、書かれていないことを推測する
しかありませんが、「偶像はいけない」で一致したはずです。なぜなら、「偶
像礼拝」は言うまでもなく十戒を始めとして「律法」に厳しく禁じられたこと
だからです。そればかりでなく、ユダヤ教はヘレニズム時代に、ギリシア文化
の偶像礼拝と厳しく戦ってきたからです。
ここからは、全くの想像ですが、パウロとユダヤ人たちは、「偶像礼拝」に
関しての議論では、「そうだ、そのとおりだ」と完全に心を一つにさえしたの
ではないでしょうか。「本物の異邦人対象の異邦人伝道」、そして「ローマ
(帝国)での伝道」では、ある場合には、ユダヤ教と「協力関係」になる、い
やなるべきこともあるのです。これは、アテネで、パウロが「目を開かれた」
第一の体験である、と考えられます。
だとすると、「議論(ディアレゲスサイ)」の場は、広場へと移ってまいり
ます。
18〜21節「また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論し
たが、その中には、『このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか』と言う者
もいれば、『彼は外国の神々の宣伝をする者らしい』と言う者もいた。パウロ
が、イエスと復活について告げ知らせていたからである。そこで、彼らはパウ
ロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。『あなたが説いているこの新し
い教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことを私たちに聞かせ
ているが、それがどんな意味か知りたいのだ。』すべてのアテネ人やそこに在
留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過
ごしていたのである。」
パウロがアテネという都市における広場の持つ意味、つまり、かつても今も
ソクラテスをはじめとする哲学者たちがそこで議論をしてきたことをアテネ訪
問の前から知っていたかどうかは不明です。しかし、「福音宣教者」としてよ
り以前に「逃亡者」として、「観察者」の自由をもってこの町を訪れたパウロ
にとって、それを知ることは容易でした。彼は、広場で哲学者たちと議論しま
した。
(この項、続く)
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