2016年07月31日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第51回「使徒言行録17章10〜15節」
(13/10/6)(その3)
(承前)

 そして、それが本当であるかどうか毎日、つまり熱心に旧約聖書を調べたの
です。そして、パウロの言うことが本当であるということを確認した人の中か
ら、多くの人が信じました。「信じる」の目的語がありませんが、「福音」を
信じる、イエスをメシアと信じる、ということであろう、と思われます。さら
に、ギリシア人の上流夫人や男たちも少なからず信仰に入りました。ここも、
「信仰に入った」と訳されていますが、原文は「信じる」です。ギリシア人の
上流夫人や男たちはユダヤ人と同じパターンで「信じた」のだと考えられます。
すなわち、この人たちはギリシア人であるにも関わらず、ユダヤ教のシナゴグ
に通い、聖書を知っている人たちだったのです。
 確かに大きな成果はあげました。しかし、ここでなされた伝道は、エルサレ
ムでユダヤ人に対してなされた伝道、異邦人伝道は異邦人伝道でも、ユダヤ教
の影響力の強い小アジアで行われた第一次伝道旅行の際の伝道と全く同じ伝道
だったのです。まず、ユダヤ人に「御言葉」「福音」が告げ知らされます。し
かし、異邦人にも、シナゴグのまわりをうろうろしている人には、そのおこぼ
れが分かち与えられるのです。
 しかし、ここはユダヤ教の影響力の小さい、ユダヤ人がマイノリティーであ
るヨーロッパです。神も旧約聖書も律法も知らない「純粋の異邦人」への伝道
はどうなっていたのでしょうか。「純粋の異邦人」への伝道こそ、第二伝道旅
行の第一の使命だったのではないでしょうか。書かれていないということは、
シナゴグでの伝道に時間と労力を取られて、一切行われなかった、ということ
であります。
 そうこうしているうちに、ベレアは「逃れの町」でしたが、テサロニケから
の追手が追いついてしまいました。

13〜15節「ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでも神の言葉が宣
べ伝えられていることを知ると、そこへ押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせ
た。それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、
シラスとテモテはベレアに残った。パウロに付き添った人々は、彼をアテネま
で連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに
対するパウロの指示を受けて帰って行った。」
 パウロが、「純粋の異邦人」のための異邦人伝道に集中できるように、テサ
ロニケ教会の人々が、パウロが自分たちのところに止まってほしい、という願
いをも我慢して、二人をベレアに送り出したのに、ベレアでもテサロニケと同
じことが繰り返されてしまいました。またまた、ベレアの兄弟たちも、危険を
冒して、パウロを海へ逃してやらねばならなくなってしまったのです。今度は
72キロ程度の距離の「逃れの町」ではことすみません。350キロ先のアテネま
で、しかも海路で送り出さねばならないこととなってしまったのです。
 ベレアで第二伝道旅行の本務たる「純粋の異邦人」への伝道ができなかった
こと、この原因は何でしょうか。何がまずかったのでしょうか。それは、パウ
ロが未だに「ユダヤ人への伝道」にこだわっているからです。
 キリストの福音は、ユダヤ人だけでなく、すべての民を救いに至らせるもの
です。が、だからこそ、その「福音」を、「選びの民」とされてきたユダヤ人
がまず先に受け入れてほしい、それはユダヤ人たるパウロが本来持っていた願
いでしょう。しかし、この願いにこだわっている限り、パウロがいかに一生懸
命「異邦人伝道」に携わっていたとしても、「異邦人伝道」は完成しません。
異邦人は、ユダヤ人の救いのおこぼれをいただくに過ぎないからです。
ヨーロッパ伝道に携わりながらも、パウロの伝道は、ここが限界だったのです。
 しかし、パウロが「律法を知らない異邦人こそ、福音の王道である」ことを
悟るとき、つまりユダヤ人と一旦きっぱりと縁を切るとき、それは、使徒言行
録ではコリントでの出来事とされていますが(18:6)、異邦人に、キリストの
福音がストレートに伝わるようになるのです。そして、コリントで「本物の異
邦人」の教会が初めて立ち上げられたのでした。
 パウロが「ユダヤ人としての自分」を乗り越える旅がまだまだ続きます。次
に、アテネでパウロは試されることとなります。
 伝道とは、実は「自分自身が試され、成長させられる」過程でもあるのです。

(この項、完)




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