2016年07月17日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第50回「使徒言行録17章1〜9節」
(13/9/29)(その3)
(承前)

5〜9節「しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているなら
ず者を何人か抱き込んで、暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、
二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。しかし、二人が見つからなかった
ので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者のところへ引き立てて行って、大声で
言った。『世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼ら
をかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、「イエスという別の王
がいる」と言っています。』これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。
当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで、彼らを釈放
した。」

 ユダヤ人が、イエスを信じることを勧め、「律法」を否定するパウロらを迫
害する、というのは、第一伝道旅行でも見られたパターンです。ここ、ローマ
の都市、テサロニケでも、ユダヤ人たちは全く同じことをしました。しかし、
ここは「ローマ都市」です。自分たちで石を投げたりはしません。ローマの官
憲、「当局者」と訳されていますが、原語では「ポリタルコス」、「市長」と
も「行政長官」とも訳せますが、のところへ、「この者たちは、世界を騒がせ、
皇帝の勅令に背いて『イエスという別の王がいる』と言っている」と言って訴
えるのです。
 確かに、イエスは「神の国は来た」と言われて宣教を始められ、裁判におい
て「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王
たるメシアだと言っていることが分かりました(ルカ23:2)」と訴えられまし
た。しかし、神の国が来ること、そして神から遣わされた王がその国を治める
ことは、そもそもは旧約聖書以来の、ユダヤ教の考え方です。
 しかし、イエスは「この世の王になる」ことなど全く考えておられなかった
のに対し、ユダヤ教こそ、特にゼーロータイですが、ユダヤ戦争前は全土に
亘って、ローマの支配を倒して自分たちの王を立てることを目指して武装蜂起
し、それこそ世界中を不安に陥れたのです。
 ユダヤ教徒たちは、自分たちが疑われ、訴追されていることをクリスチャン
のせいにする、という汚い手を使ったのです。
 犯罪事実がそもそもない、ということを当局者もきちんと見ておりまして、
また、「自由都市」ゆえに「皇帝の勅令」なるものに市当局者が縛られていな
かったということもあって、パウロとシラスの身代わりに捕えられてしまった
ヤソン(この人は3週間の間にクリスチャンになったユダヤ人と考えられます
が、)らは、ほとんど何のお咎めもなく、解放されることとなりました。
 そもそもは、キリスト教の異邦人伝道は、ローマの社会と齟齬をきたすもの
ではないのです。ローマによる迫害と弾圧が始まるのは、ローマが「皇帝崇拝」
という排他的な疑似宗教を制度的に開始してからのことです。
 こうして、フィリピにおいて確立された「(本物の)異邦人伝道」「ローマ
伝道」のパターンは実証され、ローマの伝道の使命がより明確になって来たの
でした。
 わたしたちも伝道の目標を明確にしてすすんでまいりましょう。

(この項、完)


第51回「使徒言行録17章10〜15節」
(13/10/6)(その1)

10〜12節「兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出し
た。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。ここのユダヤ人たち
は、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け容れ、そ
のとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。そこで、そのうちの多くの人が
信じ、ギリシア人の上流夫人や男たちも少なからず信仰に入った。」

 前回は、テサロニケでの伝道について学びました。
 テサロニケ伝道の意義は、すなわちこのギリシアの主要都市に教会が形成さ
れた意義は、計り知ることができないほど大きなものです。後にこの地の教会
にあてて書かれたパウロの手紙、「テサロニケの信徒への手紙一」「同二」は、
新約聖書正典に入れられました。また、テサロニケ教会は、古代末期には、主
要教会の一つであった、と言われています。
 しかし、テサロニケ教会の後の働きは異邦人伝道の結果でして、それ以前に、
異邦人伝道そのもの、つまり「本物の異邦人対象の異邦人伝道」、そして
「ローマ(帝国)での伝道」は、このテサロニケでの伝道の成功をもって軌道
に乗ることができたのです。

(この項、続く)



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