2016年07月03日

〔使徒言行録連続講解説教〕

〔使徒言行録連続講解説教〕
第50回「使徒言行録17章1〜9節」
(13/9/29)(その1)

1〜4節「パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケ
に着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつものように、ユダ
ヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用
して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することに
なっていた』と、また、『このメシアはわたしが伝えているイエスである』と
説明し、論証した。それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに
従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たち
も同じように二人に従った。」

 四回にわたるフィリピ伝道の記録の学びを、私たちは前回終えました。この
伝道は、ヨーロッパでの最初の伝道である、と同時に、ユダヤ教の影響の少な
い地域での、すなわち、(旧約)聖書で伝えられている「神」も「律法」もま
た知らない人々対象の、本当の意味での「異邦人伝道」の始まりでもありまし
た。
 そして、鞭打たれたり、獄に入れられてしまったり、パウロとシラスとに
とっては、大変に苦労の多いフィリピ伝道ではありましたが、このフィリピ伝
道を通して、異邦人伝道の、いや「本物の異邦人対象の異邦人伝道」の、もっ
と正確に言えば「ローマ(帝国)での伝道」の四つのパターンが形成されたの
です。
 その第一は、偶像礼拝からの解放です。リディアがそうでしたが、偶像礼拝
の重荷に耐えかねている人に、キリスト教の伝道はイエスの福音によって、真
の神への道と解放とを告げ知らせるのです。
 第二は、第一と関連しますが、偶像礼拝に関連して、「霊」に取りつかれて
いる人、この「霊」は、その人の自由を奪う、という意味において「悪霊」で
すが、その人への「悪霊祓い」です。イエス・キリストの名による「悪霊祓い」
が、その人に全き自由、キリストにある自由を保証します。
 そして第三に、獄の看守の方の場合ですが、もともと持っていらした「カミ
(大いなるもの)への畏れ」を言わば「窓口」として、主イエスを信じる信仰
へと導かれるケースです。
 そして第四は、伝道の手続きの問題ですが、あくまでも「ローマの法」に
則って伝道が進められるべきである、ということです。これもフィリピ伝道で、
パウロらが習得したことでした。ローマ社会の中で市民権を得ることによって
初めて、孤立することなく、福音がローマ社会に根付いていくことができるの
です。
 さて、このフィリピでの貴重な体験を経て獲得された「(本物の)異邦人伝
道」「ローマ伝道」のパターンは、さらに試され、磨かれねばなりません。そ
の積み重ねによって、ローマ伝道は、キリストの福音は、広く、深くローマ帝
国に浸透していくのです。
 次に一行が、第二伝道旅行の面々が選んだ、伝道地がテサロニケでした。本
日のテキストは、そこから始まります。
 テサロニケは、現代でもギリシアの主要都市でありまして、私たちでも納得
がいきます。しかし、一行が次の伝道地としてテサロニケを選んだ理由は別の
ことでした。それについては、後ほど触れるとして、その前に、私たちは、一
行と行動を共にしていたはずの使徒言行録の著者ルカの行方を追わねばなりま
せん。
 ルカが、第二伝道旅行に際し、アンティオキアの教会からすでにパウロとシ
ラスと行動を共にしていたかどうか、は分かりません。しかし、パウロがトロ
アスでマケドニア人の幻を見てヨーロッパ伝道を決心してから、ここからは明
らかに一行と行動を共にしていました。が、一行とルカとの共同行動は長くは
続きませんでした。フィリピでパウロとシラスとが捕えられ、鞭打たれ、獄に
入れられたとき、ユダヤ人ではないルカとテモテは難を逃れた、と考えられま
す(16:19)。フィリピの獄中にルカはいなかった、と考えられます。そして、
テサロニケに向けて出発するに当たり、パウロとシラスにテモテは同道してい
たと考えられますが(17:14)、ルカはフィリピに止まったようです。なぜな
ら、22:5〜6によれば、ルカ(わたし)は、第三伝道旅行を終えたパウロを
フィリピで迎え入れているからです。パウロは第二伝道旅行の途中、コリント
には「1年6か月(18:11)」、さらに第三伝道旅行では、エフェソで「3か月
(19:8)」、ギリシアで「3か月(20:3)」過ごしていますから、本当にしば
らくの、年単位でのご無沙汰です。
 あんなに、「証人」としての使命に燃えていたはずのルカがどうしたことな
のでしょうか。獄中はともかく、なぜ、テサロニケ以降の、ヨーロッパ伝道の
本番とも言える旅になぜ同道しなかったのでしょうか。その本当の理由は、使
徒言行録に書いてありませんので、私たちには知るすべはありませんが、フィ
リピの教会に踏みとどまって教会形成を手助けしたことも可能性の一つとして
考えられるのではないでしょうか。

(この項、続く)



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