2016年06月26日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第49回「使徒言行録16章35〜40節」
(13/9/22)(その2)
(承前)
第二に、「大地震」を前提としてですが、「大地震」に襲われた高官たちが、
それを彼らなりに神顕現に結びつけたとしても、それがパウロとシラスの解放
に結びつくことはまずありえない、ということです。
ギリシアにも、「地震」を「カミの仕業」と考える考え方はありました。そ
して、その多くは「地の神」ポセイドンの怒りと結びつけた解釈でした。高官
たちが、宗教的な人物であって、この地震をポセイドンの怒りと受け止めたと
しても、それが、パウロとシラスの解放にどう結びつくのでしょうか。二人は
どう見ても「地の神」の化身ではありえなかったのではないでしょうか。
以上の考察から導き出される結論はただ一つ、高官たちは「大地震」とも
「地の揺らぎ」とも何の関わりもないことから、「二人の解放」を結論付けた、
ということです。それでは、何の関わりもないこととは何か? それはルカに
よる記事には、ヒントの一つについても触れられていませんので、全く推測の
域を出ないのですが、この後のストーリーからして、「上からの指示」ではな
いか、と私は考えています。査察か何かではないでしょうか。あくまでもこの
推測が当たっていれば、の話ですが、高官たちは、裁判もせずに、つまりいい
加減な手続きで二人をむち打ちに、そして入牢させたことが上司に発覚するの
を恐れて、慌てて二人の「解放」を決断したのだ、と考えられるのです。
しかし、事はこれだけでは終わりませんでした。
37〜40節「ところが、パウロは下役たちに言った。『高官たちは、ローマ帝国
の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投
獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官
たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。』下役たちは、この
言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者
であると聞いて恐れ、出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町か
ら出て行くように頼んだ。牢を出た二人は、リディアの家へ行って兄弟たちに
会い、彼らを励ましてから出発した。」
突然の解放、釈放告知に出会って、パウロとシラスは、戸惑ったかもしれま
せんが、主の導きを感謝したことでしょう。しかし、看守の言うように「安心
して(平和のうちに)」次の伝道活動に従事すると思いきや、パウロはここで
意外にも、自分の法的権利を主張しました。
パウロは、違法な処置を三点申し立てました。第一は、鞭打ったこと、第二
はそれを公衆の面前で行って名誉を棄損したこと、そして第三は裁判を行わず
に入牢という決定を下し実行してしまったことです。この三点は、ローマの法
では、特にローマ市民に行うことが厳しく禁じられていたのです。
ローマ帝国はまがいなりにも「法治国家」です。が、属州民、従属国家民に
はその権利は保証されない、ということは間々あったことと思われます。しか
し、パウロは、そしてシラスも「ユダヤ人」でありつつ、「ローマの市民権」
も持っていたという訳であります。それで、高官たちは二人を釈放するだけで
は事済まず、わざわざ詫びを言いに牢まで出向き、二人を牢の外までお連れせ
ねばなりませんでした。
パウロがどのようにして自分が「ローマの市民権」を持っていることを証明
したか、は不明ですが、高官たちは「ローマ帝国の市民権を持つわたしたち」
という主張だけでも恐れをなしたのです。「ローマの市民権」の権威の重さ、
そして、その権利をもしも侵害したときの処罰の重さが背景にある、と考えら
れます。
結局二人は、奇跡によってではなく、「ローマの市民権」を持っていたがゆ
えに、完全に自由の身となった、ということです。
事の成り行きは以上ですが、パウロは釈放に満足せず、なぜ自分の「ローマ
市民」としての権利を主張したのでしょうか。
パウロ自身が「書簡」で自分の「ローマの市民」としての法的権利を一度も
主張していないところを鑑みるに、伝道活動は、異邦人伝道ですが、ローマの
法に照らしても「正当な」手続きをもって行われているという使徒言行録の著
者ルカの切なる主張が、ここでパウロの口を借りて述べられているのではない
でしょうか。
ここに異邦人伝道の、ローマ伝道の第4の原則が確認されました。それは、
この伝道活動は、法的に正当なものだし、その確信をもってすすめられるべ
き、という原則です。
キリスト教の伝道は正しいことを行っているのです。わたしたちも、その確
信をもって前進したいものです。
(この項、完)
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