2016年05月29日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第47回「使徒言行録16章16〜24節」
(13/9/8)(その3)

(承前) 
 それは、ローマには「不一致の原則」という「規則」があったからです。そ
れは何か、と言えば、もともと小さな都市国家から出発したローマには、その
一致を保つために、ローマ市民は「元老院の許可した、(自分の)国の宗教儀
礼だけを守らねばなない」という原則(「レリギオーネス・リシタエ」)があ
りました。が、そのうち、ローマは帝国となり、多くの宗教をもった人々を帝
国領内に抱えることとなりました。そこで、「レリギオーネス・リシタエ」は、
「不一致の原則」へと移行していったのです。すなわち、「帝国の秩序とモラ
ルに反対しない限り、宗教の自由を認める」という原則です。が、ユダヤ教は
この原則に反するものとして警戒されたということです。なぜなら、ユダヤ教
が改宗者を獲得しようとしたからです。そして、「パウロとシラス」の宣教活
動が、ユダヤ教の改宗者を得ようとする活動とみなされたことが、告発の動機
はともかく、より厳しい処罰へとつながっていったのです。
 フィリピはギリシアに位置する都市ですが、ローマの植民都市として、ロー
マの規則がより厳しい形で適用されていたのでしょう。「パウロとシラス」は、
ユダヤ教のとばっちりを受けて迫害されたのでした。
 それでは、パウロとシラスが、ユダヤ教の伝道ではなくキリスト教の伝道を
していることが理解されれば、この迫害は起こらなかったのでしょうか。そう
ではありません。実は、この迫害は起こるべくして起こった迫害であり、やが
てローマ帝国によって大々的に繰り広げられるキリスト教大迫害の奔りでもあ
りました。なぜなら、キリスト教は、ユダヤ教以上に改宗者を求めて求めて求
めてやまない宗教だからです。なぜ、そんなに伝道するのか、と言えば、それ
は、イエス・キリストによって示された救いは、すべての人のためのものであ
るからです。結局は「民族宗教」に過ぎないユダヤ教が、ローマ帝国の秩序の
中で、文字通りの「民族宗教」として自己保身へと奔っていくのに対し、キリ
スト教は伝道し続け、迫害に遭い続け、しかし最後には、ローマ帝国そのもの
を神の御心に聞く国へと変えていってしまうのです。
 今は獄中にある「パウロとシラス」に、神の御手がどのように働くのか、次
回続けて見ることといたしましょう。

(この項、完)


第48回「使徒言行録16章25〜34節」
(13/9/15)(その1)

25〜28節「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っている
と、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土
台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまっ
た。目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてし
まったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。
『自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。』」

 第二伝道旅行の途中、フィリピでの出来事の続きです。そして今、パウロと
シラスとは、大変な危機、生命の危機に陥っているのです。二人の生命の危機
であるばかりではありません。異邦人伝道、ローマでの異邦人伝道が伸るか反
るかの瀬戸際に立たされているのです。さて、どうなるでしょうか、というと
ころから今日の物語が始まるのですが、その前に、まず、二人が直面している
危機の性格をもう一度明らかにしておきましょう。
 一行、パウロとシラス、そしてテモテとルカは、ヨーロッパ伝道の最初の伝
道地を典型的なローマ都市、フィリピに定め、異邦人伝道、とりわけローマ伝
道のひな形がここで形作られることとなりました。
 まず、偶像崇拝問題で悩んでいた、と考えられる一人の女性の心を、主イエ
ス・キリストの福音が捉えることとなります。主イエス・キリストの福音のど
の部分がどのようにして彼女の心を捉えたのかは、ルカの叙述からは定かでは
ありませんが、彼女は聖霊によって確かにとらえられ、一家そろって洗礼を受
けることとなります。
 次に、悪霊に取りつかれていた女性が、救いに与ることとなります。彼女は
「占いの霊」、おそらくアポロの霊に取りつかれて、その「神託」なるものを
取り次いでいました。真の神を知らず神ならぬものの霊に囚われる、という典
型的に異邦人そのものの生活を営んできた女性でした。一行は、ここではパウ
ロですが、彼女に、イエスの名によって「悪霊祓い」を施すことによって、彼
女に「キリストにある自由」を、つまり解放を与えました。ルカは彼女の人と
なりについて、内面について、全く描いておりませんので、彼女の苦悩も、そ
して「喜び」も、読者には全く分かりませんが、そこに救いの喜びがあったこ
とは確かです。
 こうして、偶像礼拝からの自由と、悪霊祓い、どちらも偶像がらみではあり
ますが、異邦人、真の神をも律法をも全く知らない異邦人への伝道の2つのパ
ターンが確立されたのです。

(この項、続く)



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