2016年05月15日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第47回「使徒言行録16章16〜24節」
(13/9/8)(その1)

16〜18節「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれてい
る女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させて
いた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。
『この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているので
す。』彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向
き、その霊に言った。『イエス・キリストの名によって命じる。この女から出
て行け。』すると即座に、霊が彼女から出て行った。」

 パウロらの第二伝道旅行の記録を読んでいます。
第二伝道旅行において、教会は初めてギリシアすなわちヨーロッパの地での宣
教を開始しました。しかしそればかりではありません。フィリピという典型的
なローマの都市で、「ユダヤ教の律法主義の影響を受けていない」どころでは
なく、神も律法も知らない人々、本物の異邦人への宣教に取り組んでいるので
す。
 そして、リディアという、本物のギリシア人、異邦人にして、異邦人ならで
はの深刻な問題を抱えた女性を最初の受洗者、改宗者として与えられることと
なりました。とは言え、彼女は、神も律法も知らないあり方に疑問を感じ、す
でに「真の神」を求めていました。一般の異邦人は、神をも、神にある正しい
生き方を求めることさえしません。第二伝道旅行のメンバー、パウロとシラス、
そしてテモテとルカは、次に、一般の異邦人、そしてその人々が抱えている問
題に直面することとなりました。
 今日は、その所から話が始まります。
「わたしたち」、すなわち、パウロとシラス、そしてテモテとルカは、「祈り
の場所」に通い続けていました。リディアに続く改宗者を求めて、のことで
しょう。が、新たな改宗者を得ることは(おそらく)できませんでした。実り
は、そう簡単に得られるものではないのです。代わりに、途中の道端で「占い
の霊に取りつかれている女奴隷」に出会いました。私は、彼女が道端にうずく
まっていたところへパウロが声をかけたのではないか、などと想像をめぐらし
ています。ともかく、この出会いから、今日の物語の第一部が始まるのです。
 が、「占いの霊に取りつかれている女奴隷」とは、どういう人なのでしょう
か。みなさんは、どのような人を想像されますでしょうか。わたしたちの今日
の「物語」は、そこから始めることといたしましょう。
 「占い師」というと、繁華街の街角に座って、手相を見ている人を思う起こ
す方も多いことと思います。が、今の日本では「占い」は大流行ですから、姓
名判断、風水、西洋占星術、カード等々さまざまの占いをする人がおります。
皆様の中でも、手相はともかく、星座や血液型による運命判断は信じて、その
意味で「占い師」を頼りにしていらっしゃる方もいらっしゃるのではないか、
と思います。
 が、「占い」とは、そもそもは、人間が困難に直面しまして、どうしたらよ
いかわからない時、カミの御心を探るためのものですから、古来宗教者が担っ
てきました。「占い師」=宗教者だったのです。日本でも、古代「太占」が行
われていたころは、「卜部」家が、そして、役小角以降は、修験者が、「占い」
を主として担ってきたのです。しかし、一方、占いは現世利益とつながります
ので、しばしば金儲けと絡んできたことも事実です。
 で、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、「巫女」もこのような宗教
者の一種でございまして、彼女たちの場合には、自分自身に「霊」を取りつか
させて「占い」をしてきたのです。
 今、舞台となっていますヨーロッパ、ギリシアでも「占い」は大変に盛んで
した。そして、ここに出てくる「占いの霊に取りつかれている女奴隷」とは、
日本で言えば「巫女」、もう少しかっこよく言えば、「女預言者」だったので
す。そして、その仕組みは次の通りでした。「占いの霊」と訳されていますが、
「占いの」と訳されているところの原語は「ピュソーン」です。ですから原語
に忠実に訳せば「『ピュソーンの霊』に取りつかれている女奴隷」となります。
『ピュソーンの霊』とは、何でしょうか。「ピュソーン」とは、もともと「蛇」
のことです。そして、「デルフィ」(別名「ピュシア」)に住んでいました。
が、「蛇」は地下世界の代表であり、アポロというカミに滅ぼされてしまいま
した。が、そのアポロの「女預言者」が、「デルフィ」(別名「ピュシア」)
でアポロの「神託」を取り次ぎ、「ピュシア」と呼ばれたのです。
 また、LXXなどでは「ピュソーン」は、単なる地名ではなく、「腹話術」を
行う霊との意味もあり、この「女預言者」は「腹話術」のごとくして、「神託」
ないしは「占い」を告げた、とも考えられるのです。

(この項、続く)



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