2016年05月08日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第46回「使徒言行録16章11〜15節」
(13/9/1)(その3)
(承前)

 フィリピは、先ほども触れたように、紀元前42年、アントニウス、オクタビ
アヌスとブルータス、カシウスが会いまみえる戦場となりました。アントニウ
スはこの戦争の勝利の後、ここフィリピに植民都市を建設しました。そして、
その後紀元前31年にアクティウムの海戦でアントニウスがオクタビアヌスに敗
れると、今度は、オクタビアヌスが、この町を「コロニア・ユリア・アウグス
タ・フィリペンシウム」という正式名称をもった植民都市としてさらに発展さ
せたのです。フィリピはマケドニアの都市としては第一の都市ではありません
でしたが、植民都市の典型、「植民都市中の植民都市」と言える町だったので
す。
 植民都市とは、ローマ市民が住む町です。特にフィリピの場合には、退役軍
人が年金をもらって住み着くこととなりました。市民は自由を謳歌し、そして
イタリアの税制が適用され、ローマの法制度が適用される「イタリアの土」と
まで言われた地域だったのです。
 一行は、特にルカはこの植民都市としてのフィリピへ行きたかったのです。
なぜでしょうか。それは異邦人伝道の究極の目的地はローマだったからです。
一行にとって、特にルカにとって、異邦人伝道はすなわちローマ伝道でした。
ギリシア本土での伝道は、ヨーロッパ伝道の第一歩なのではなく、実はローマ
伝道の第一歩であったのです。そして最終的には、ローマにおいてこそ「神の
国の教会が打ち立てられるべき」という大きな目標があったことは言うまでも
ありません。このここフィリピにおいてローマ伝道の第一歩が踏み出されたと
いうことこそ、ルカが「自分も証人の一人であるということを明らかにしたば
かりではなく、書式まで変えている」理由なのではないでしょうか。
 そして、このような大きな目標を掲げつつ始まったヨーロッパでの伝道です
が、実際の宣教活動は、一人の女性との小さな出会いから始まりました。そこ
には、一体どのような意味があったのでしょうか。

13〜15節「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。
そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティ
アティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞
いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞い
た。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、『私が主を信じる
者だとお思いでしたら、どうぞ私の家に来てお泊りください』と言ってわたし
たちを招待し、無理に承知させた。」

 「祈りの場所」ということで、まだシナゴグ、会堂は形成されていなかった
ようですが、ヨーロッパでも、一行の最初の伝道の拠点はユダヤ教の会堂ない
しはそれに準ずるところでした。これは、私たちにとっては驚きです。ここで
伝道が行われたのでは、ヨーロッパ伝道も、アジアでの伝道と、もっと言えば、
ペンテコステの時のユダヤ人への伝道と変わりないのではないでしょうか。キ
リスト教は、ユダヤ教徒や、ユダヤ教シンパの人の中の、従来のユダヤ教に満
足できない人のためのものにすぎないのでしょうか。
 そうではありません。「祈りの場所」での伝道ではありましたが、パウロの
話に耳を傾けたリディアという女性は、ギリシア人の女性として異邦人独自の
問題を抱えていたのでした。
 彼女の抱えていた問題は使徒言行録には記されていませんが、黙示録から分
かります。黙示録2:18以降を見ると、彼女の住んでいたティアティラ市におい
ては偶像礼拝が流行し、イゼベルという女預言者が君臨し、みだらなおこない
が日常化していたことが分かります。彼女(リディア)はこの状態を憂い、彼
女自身も含め、ティアティラの人々が真の神に立ち帰り、救いを得ることを求
めていた、いや、必要としていたのではないでしょうか。それで、ユダヤ教の
集会に参加していたのです。しかし、ユダヤ教においては、救いは得られな
かったことでしょう。なぜなら、ユダヤ教は、救いに至るためには、まずユダ
ヤ人になることを求めていたからです。
 パウロがどのような話をしたのか、使徒言行録には記されてはいませんので
分かりません。が、信仰義認の教え、すなわちキリストの十字架の贖いによっ
てすべての人に救いがもたらされたことが伝えられたのでしょう。神の力が働
いて、彼女に、律法によってではなく、イエス・キリストを信ずることによっ
て救われる道が開かれました。そして、洗礼を受けることによって救いの道に
入れられました。ここに、ユダヤ教経由ではない、異邦人教会にして、ローマ
の教会が始まったのです。
 なお、この洗礼の恵みは、彼女自身はもちろん、彼女の家全体に及ぶものと
なりました。こうして、ローマの教会は男性だけでない、女性もことどももそ
のメンバーとして受け容れられる共同体なっていくのです。
 ユダヤの外、というだけでなく、ローマそして世界に及ぶ教会の始まりを感
謝をもって受け止めたいものです。

(この項、完)



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