2016年04月03日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第43回「使徒言行録15章36〜40節」
(13/8/11)(その3)
(承前)

 丁寧に読んできて、皆様お分かりいただけたことと思いますが、本日のとこ
ろも、前回に負けず劣らず重要な、教会の歴史における分岐点でした。逆風に
中で、パウロの対応も、バルナバの対応も、どちらも間違いではありません。
しかしここで、理念をあいまいにして、その場の対応に終始するようなバルナ
バ路線が教会の主流となっていたらどうでしょうか。教会は遅かれ早かれ、存
在意義を見失ってしまっていたのではないでしょうか。
 パウロごとく、逆風の時ほど、しっかりした理念に立って、右往左往するこ
となく、基礎固めをしなければなりません。
わたしたちの教会も、バルナバではなく、パウロのやり方に学ぶべきです。

(この項、完)


第44回「使徒言行録16章1〜5節」
(13/8/18)(その1)

1〜4節「パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ
婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リス
トラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテ
を一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼
を授けた。父親がギリシア人であることを皆が知っていたからである。彼らは
方々の町々を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るよう
にと、人々に伝えた。」

 本日は、いよいよパウロの第2伝道旅行が始まったところから物語が始まり
ます。
 前回申し上げましたように、いわゆる「エルサレムの使徒会議」が終了し、
「異邦人信徒に割礼を強制する」ということが免除されました。「さあ、これ
で心置きなく異邦人伝道に邁進できるぞ」とアンティオキア教会が更なる異邦
人伝道を企画し、パウロとバルナバを派遣したのが、第二伝道旅行である、と
私たちは考えがちですが、事実は全然違うのです。
 いわゆる「エルサレムの使徒会議」の決定、「使徒教令」とも言われますが、
には、「偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、
血とを避ける」という律法の一部を守るように、との「指令」がついており、
実は、こちらの指令の方が、いわゆる「エルサレム使徒会議」の決定のメイン
だったのです。しかもこの指令を守ることは、救いのために「必要な」ことと
されていました。
 この福音に反する決定に対し、アンティオキア教会は「知恵」をもって適切
に対応しましたが、それでも、せっかくの「異邦人伝道への情熱」に水差され
る出来事であったことは確かです。
 第二伝道旅行は、このエルサレム教会の不適切な「指令」、いや、神の御心
に反する、と言ってさえ良い「指令」に対する対応から始まります。
 パウロは、この福音に反する決定に対して、各教会の信徒の信仰が揺らぐこ
とがないよう、フォローすることを目指しました。バルナバは、とりあえず、
エルサレム教会の言うことを聞いておくように、つまり妥協することを指導す
ることを目指しました。連れて行く弟子にかかわるトラブルは、方針の違いの
結果として生じてきたことにすぎません。
 こうして、バルナバの「妥協を勧める伝道旅行」に対し、パウロの「福音に
反する決定に対して、各教会の信徒の信仰が揺らぐことがないよう、フォロー
する」、そのための第二伝道旅行がスタートしたのです。
 前回のテキストの最後、41節で、パウロは「シリア州やキリキア州」の教会
も回って力づけたことが記されています。が、この両州については、パウロが
伝道して教会を形成した記録はありません。が、この両州の教会は、すでに
「使徒教令」の通告を受けており(15:23)、目的の教会に(逆コースで)向か
うための通り道でもありますから、「使徒教令」の受け止め方について、改め
てフォローしたのではないか、と考えられます。
 さて、そしていよいよ目的の教会、デルベとリストラの教会を訪ねました。
ところが、「(使徒教令という)福音に反する決定に対して、各教会の信徒の
信仰が揺らぐことがないよう、フォローする」ために来たはずのパウロが、
「一見」、それに反するどころか、全く逆のことと見えることを二つもやって
いることが、今日のテキストで知られるのです。今日のテキストは、大変に解
釈の難しいテキストです。
 先ほど、1節から4節までお読みしましたが、事の順序としては4節に記さ
れていることが先でしょうから、4節に記されていることから触れていくこと
といたしましょう。
 彼らは、すなわち、パウロとシラスですが、「方々の町々」、と言っても、
「前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町(15:36)」ですから、デルベとリス
トラそしてイコニオンを巡回しました。「巡回」と言っても原文は「通過」で
すので、み言葉を宣べ伝えて回った、という意味です。

(この項、続く)



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