2016年03月27日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第43回「使徒言行録15章36〜40節」
(13/8/11)(その2)
(承前)

 37節を新共同訳聖書で読むと、バルナバは「パウロの提案には、賛成であっ
た。しかし、同行者の問題について、ある考えがあった」という風に読めるか、
と思います。ところが、原文を丁寧によく読んでみると、「思った」という動
詞は「未完了」という時制が使われており、そこを生かして訳すと「バルナバ
は、マルコと呼ばれるヨハネを連れて行きたいと思い続けていた。」となるの
です。つまり、バルナバは、前回(13:3)第一伝道旅行の途中で、ついて行く
ことができずに帰ってしまったマルコと呼ばれるヨハネを、今度こそ連れて行
きたい、今度伝道の機会があれば、その時こそ連れて行きたい、と思い続けて
いた、ということなのです。おそらく、失敗をした彼にリベンジの機会を与え
てやりたい、と願ってのことでしょう。
 で、肝腎のパウロの提案についての賛否についてですが、実は37節には、何
にも書かれていなかったのです。書かれていない、ということは「一致を重ん
じる」著者ルカにおいては、賛成ではない、つまり反対ではなくとも、「乗り
気ではない」ということを意味します。いったいバルナバはなぜ、異邦人教会
の見舞に、少なくとも「乗り気ではない」のでしょうか。「乗り気ではない」
ことさえ、明記していないルカ(使徒言行録)の記事からは全く分かりません。
 が、推測する手がかりがガラテヤの信徒への手紙2:11〜14にあります。ガラ
テヤの信徒への手紙はパウロ自身による報告なので、ある意味では、使徒言行
録の報告より確かな報告です。2:11〜14は、次のような出来事がアンティオキ
ア教会であった、というパウロの報告です。
 すなわち、ある時、アンティオキア教会へ、ヤコブの下から来た人々、つま
りエルサレム教会から遣わされた人が来た、というのです。来て何をしたか、
文脈からすると「異邦人信徒の中に、『偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行
いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避ける』ことを守らない者がいる、と厳
しく糾弾したのではないでしょうか。そうしたら、たまたまアンティオキア教
会に来ていたケファ、すなわちペトロと、そしてバルナバまでもが、異邦人信
徒との共同の食事から手を引いてしまったというのです。この事態を目の当た
りにして、二人は律法に囚われている、「福音の真理」に則っていない、とパ
ウロは二人を非難しているのです。
 すなわち、パウロから見てバルナバは、異邦人伝道への情熱は確かに持って
いますが、「福音の真理」への理解にもう一つ欠けた人物、理念がはっきりし
ていない人物だったのではないでしょうか。ですから、エルサレム教会が「命
令」としてなした「勧告」を、知恵をもって「勇気づけ」、すなわち「愛の業
の勧め」として受け取ることができずに、異邦人信徒に押し付ける方向に走っ
たのではないか、と考えられます。
 ですから、「これからどうするか」について、パウロとバルナバとの間に明
確に方針の対立があったことが推測されます。ですから、「意見が激しく衝突
し」、原文では「激論があった」が起こったのです。パウロは、逆風の中で、
信徒が福音にしっかり立つことができるように、律法強制に惑わされないよう
に、励ますことを第一と考えたのでしょう。バルナバは、逆に、逆風に妥協し
て、この際、律法を守ることを信徒に勧めることを考えたのではないか、と考
えられます。
 だとすると、同行者の問題の争点も明確になってまいります。パウロにとっ
ては、今回の旅行は、「福音が生きるか、死ぬか」の重要な分岐点です。同行
者として「あのヨハネには荷が重い」と考えたのだと思われます。
 ここで、第二の、「結果としてどうなった?」の問題に入ってまいります。
当然の結果として、パウロとバルナバは別行動をとることとなりました。バル
ナバは、自分の故郷、キプロスへ行きました。親類縁者に、逆風に逆らわない
ように勧めたのでしょう。パウロは、提案通り、逆コースではありますが、既
伝道地を回り、「福音に、福音のみにしっかり立つように」勧めたことと思わ
れます。
 ところで、だとすると、パウロがシラスを伴った、という記事は「不可解」
です。15:22、27、32に登場するシラスは、エルサレム教会を代表する使者と
して正式に任命され、アンティオキアの教会へ「律法強制」を伝えに来た人物
です。この人物が、「逆風に逆らって、律法強制に惑わされず、福音にしっか
りと立つ」ことを、それこそ命を懸けて行おうとしているパウロの協力者たり
うるでしょうか。答えは、「ノット・アットオール」です。15:40以降のシラ
スは、15:22、27、32に登場するシラスとは別人物である、と受け止めるのが、
自然です。
 さて、どちらの道が、その後の教会形成に役立ったのでしょうか。ルカは40
節の「兄弟たちから主の恵みにゆだねられて」という一言によって、「それは
パウロだ」と断じているのであります。

(この項、続く)



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