2016年03月06日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第42回「使徒言行録15章22〜35節」
(13/8/4)(その2)
(承前)

 まず、前段の「手紙を託する」ところまでです。「(手紙を送ることを)決
定した」と訳されている語、25節、28節にも用いられており、エルサレム教会
の判断を示しています。本来は「と思われる」くらいの軽い意味ですが、文脈
からすると、「裁判所」の決定を表しています。「使徒たちと長老たち」から
なるエルサレム教会の決定機関(裁判所?)が判断を下しているのです。です
からこの「手紙」は単なるご連絡ではなく、拘束力をもった正式文書、今の日
本で言うと、「特別送達郵便」でした。それゆえ、23節の「使徒たち」は、明
らかに誤訳です。原文は「彼ら」ですが、彼らは当然「使徒たちと長老たち」、
教会の正式機関です。単なる使徒たちの個人書簡ではありません。そして、そ
してそれゆえ、「特別送達郵便」では足りずに、使者までつけたのです。
ではその「厳かな」手紙の内容はどのようなものだったのでしょうか。

23節後半〜29節「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州と
キリキア州とに住む、異邦人の兄弟に挨拶いたします。聞くところによると、
わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないの
に、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。
それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そ
ちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバ
とパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人
たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口
頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あ
なたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられた
ものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いを避けることです。以上
を慎めばよいのです。健康を祈ります。」

 一見、慰めに満ちた「励まし」の手紙のようですが、実は、アンティオキア
教会にとって厳しい内容のものでした。手紙はまず、24節で15:1〜2の事件、
「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなけ
れば、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロや
バルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。」につい
て触れています。手紙の新共同訳の翻訳で見ると、「一部の人の『勝手な』行
動」と受け取られます。ところが原文を丁寧にたどってみると、そうではあり
ません。「何の指示もないのに、いろいろなことを言って」と訳されています
が、原文は「わたしたちが命じていない言葉をもって」です。ニュアンスが相
当違いますでしょう。ニュアンスだけでなく、事実も誤解される危険がありま
す。つまり、事実はこうです。「ある人々」は確かにエルサレム教会から派遣
されて、異邦人信徒に割礼を受けさせるように伝えたのです。しかし、命令以
上のことを言った、すなわち、「律法そのものを守らせるべきだ」とでも言っ
たのでしょう。それで論争になったのです。わたしたちは、エルサレム教会が、
異邦人信徒に、できれば割礼を受けさせ、あわよくば律法を守らせよう、とい
う考えを変えていないことを確認し、忘れてはなりません。

 第二に25節〜27節で使者の派遣について述べています。この件に関し手紙は
3節も用いており、伝達の内容よりも、使者の派遣の方に実は重点が置かれて
いることをも見逃してはなりません。順序は前後しますが、手紙はまず、「バ
ルナバとパウロ」を大いに評価しているかのように見えます。しかし、二人を
呼ぶとき「バルナバとパウロ」と、第一伝道旅行での順序と逆転していること
を見落としてはなりません。エルサレム教会では、序列はまず、バルナバ、そ
してパウロなのです。さらに「わたしたちの主イエス・キリストの名のために
身を献げている(26節)」と、二人の福音宣教の働きを大いに評価しているよ
うに見えますが、「わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げて
いる」のは、エルサレム教会のメンバーにおいても同然でありまして、ここは
「自分たちの仲間として認める」ということを言っているだけです。「わたし
たちの主イエス・キリストの名のために身を献げている」その結果としてして
いることは全く違うのですが、一応その活動を、つまり異邦人伝道を認めま
しょう、と言っているだけです。

 で、肝腎の使者の件ですが、翻訳が「誤解を招く」危険があります。まず
「満場一致で」と訳されている語(ホモシュマドン)ですが、この語には「満
場一致で」という意味と同時に、「実際に議決を行って」という意味がありま
す。そして、ルカは両方の意味を込めてこの語を使っていると考えられるので
す。つまり使者の派遣は「みなさんよろしいですね」の満場一致で決められた
ことではなく、わざわざ会議を開いて決定したことだ、ということです。とな
ると、手紙よりも使者の派遣の方が重みがある、とさえ言えるのではないで
しょうか。

(この項、続く)



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