2016年01月24日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第39回「使徒言行録14章21〜28節」
(13/7/14)(その3)
(承前)

 それは、ルカが「必要ない」と考えたからに違いありません。第一伝道旅行
の目的は、何をさておいても、「異邦人伝道の3つの課題」をクリヤーするこ
とでした。
 途中、イコニオンでの失敗はありましたが、パウロらは、リストラ伝道まで
で、すべての課題をクリヤーできたのです。つまり、デルベでの伝道は、3つ
の課題を教科書通りにクリヤーした、理想的なものだったに違いないのです。
私たちは、そう受け止めて先へ進んで行くことといたしましょう。
 さて、こうして第一伝道旅行の目的、実質を達成したパウロら、です。後は、
彼らを派遣したアンティオキア教会へ帰って、報告をする仕事が残っているの
みです。ところが、彼らは、パウロの出身地でもあるタルソスを通ってアン
ティオキアへ向かう最短路をとることをせず、わざわざ今まで通って来た道を
引き返すことといたしました。なぜでしょうか。この問題は、今日のテキスト
の中での最大の謎です。なぜなのでしょうか。実は、その答えが19節、20節に
あったのです。第一伝道旅行は、異邦人伝道の3つの課題すべてをクリヤーす
る、という大成果をあげました。しかし、同時に、パウロを、ということはキ
リスト教徒を「神に背く者」として、死罪の対象として付け狙う「敵対集団」
を生み出すこととなってしまったのです。どうしたらいいでしょうか。パウロ
にとっては、まだできたばかりの「かわいい、かわいい」教会を、「敵対集団」
の手から守ることしかないのではないでしょうか。そのためにはどうしたらよ
い? 二つのことが考えられます。一つは「敵対集団」から自らを守るために、
教会の組織をできるかぎり整えること、もう一つは、「迫害」に耐えられる思
想的な備えをなすことです。21節〜23節に書かれているのは、そのことなんで
す。パウロは、「みなさんお元気ですか」などという能天気な挨拶に行ったわ
けではないのです。だから、パウロは、リストラ、イコニオン、アンティオキ
アと、これらの町へ戻ることは当然付け狙われることになるわけですし、実際
寸でのところで逃げ出したケースもあったかもしれません、命の危険をわざわ
ざ犯して、戻ったのです。したことは長老制度の確立と、「もしも、艱難が
襲ってきたら、それは終末の艱難(黙示録2:10など)である、と受け止めな
さい」という勧めでした。このパウロの勧めが、いかに切実で必死のもので
あったか、は「力づけ(原語では「エピステーリゾー」)」という、新約聖書
ではほかのどこでも用いられていない語をもってルカが、パウロの「雰囲気」
を伝えていることからもわかるのです。
 さて、こうして、一方では「喜びに満ちて」、一方では「這う這うの体」で
シリアのアンティオキアに帰ってきた二人です。早速、報告がなされることと
なりました。

24〜28節「それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ペ
ルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこからアンティオキアへ向かっ
て船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられ
て送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たち
と共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこ
とを報告した。そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。」

 見過ごされがちですが、途中、パウロは、往路ではなぜか通り過ぎたペルゲ
での伝道も忘れません。しかし、ルカはそれ以上のことは語っておりませんの
で、どのような伝道方法がとられ、期間がどれくらいで、成果があったかどう
かに至るまで、全く分かりません。さらにその後の歴史において、教会が形成
された痕跡も全くありません。ここでの伝道は失敗だったのでしょう。パウロ
の伝道旅行において、すべてが成功だったという固定観念をわたしたちは捨て
ねばなりません。
 にもかかわらず、パウロは、教会で「神が自分たちと共にいて」素晴らしい
み業をなしてくださったことを報告しました。失敗を隠したわけではありませ
ん。そうではなく、「異邦人に門戸を開く」という、神の救済のご計画の大切
なステップが達成されたことを、喜びをもって報告したのです。門はすでに開
かれています。ですから、「エチオピアの高官(8:26以下)」も「コルネリ
ウス(10:48)」も洗礼に至りました。しかし、使徒たちが現地に教会を形成
することにより、その所で信仰に至る道が開かれた、ということなのです。
 いろいろな困難はあります。しかし、神は救いのご計画を、ワンステップ、
ワンステップずつ着実に進めておられることを覚え、私たちもやがて神の国が
なることを確かに受け止めつつ、歩んでいきたいものです。

(この項、完)



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