2016年01月17日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第39回「使徒言行録14章21〜28節」
(13/7/14)(その2)
(承前)

 第一伝道旅行の第四番目の伝道地はリストラでした。ここは、小さな町で、
ユダヤ教のシナゴグがなかったのかも知れません。いきなり、おそらく路傍で、
異邦人に、キリストの福音を宣べ伝えることとなります。パウロの語る福音の
言葉も異邦人の人たちの心を揺り動かしたことでしょう。しかしそればかりで
はなく、一つの癒しの出来事が、群衆の心をより強く揺さぶりました。人々は、
そこに目に見える形で、神のみ業を見たのです。ところが、キリスト教という
より、一神教の伝統のないこの地で、この奇跡は思いもかけない反応を引き起
こすこととなりました。神のみ名が崇められるのではなく、パウロやバルナバ
自身が神にされそうになってしまったのです。
 しかし、この冒涜の危機こそ、宣教のチャンスです。パウロは、異邦人が、
偶像崇拝にふけるのではなく、まことの神に立ち帰るべきことを諄々と説きま
した。異邦人たちは、時間はかかったかもしれませんが、自分たちのしていた
ことの誤りを悟り、悔い改め、真の神に気づいたことでしょう。パウロやバル
ナバにいけにえを献げるのをやめました。
 こうして、二人は、異邦人伝道の三つの課題の三番目、「イエス・キリスト
ご自身が示され、語られること」が達成されることにより、すなわち、自分で
はなく、イエスが、つまり神が示されることにより、リストラでの伝道は、成
功裡に終えることができたのです。
 ところが、パウロの目の前に思いもかけない敵が現れることとなりました。
それは、リストラの人ではなく、アンティオキアそしてイコニオンからやって
きたユダヤ人たちでした。リストラのユダヤ人から反発を食らう、というので
したら、パウロのアンティオキア、そしてイコニオンでの経験からしてありえ
ないことではありません。しかし、それは、書いてありませんので、なかった
ようです。そうではなく、よその町から、しかもかなり遠方の町から来たユダ
ヤ人に攻撃されるとは、一体どういうことでしょうか。これについてルカは詳
しい説明をしておりませんが、パウロのアンティオキア、そして、イコニオン
での伝道を通して、ユダヤ人の間にパウロに敵対するグループが、それも組織
的なグループが形成されたとしか考えられません。そうでなければ、わざわざ
100キロ以上の道のりを追ってくるなどということは考えられないのではない
でしょうか。
 また、この人々は、単なる考えの相違とか、意地悪からではなく、確信を
もって、つまり、パウロを「ユダヤ教に背く者」、彼らの信仰からすれば「神
に背く者」と断定して、「迫害」を、組織的に始めた、と考えられます。それ
で、「追い出し」たり(アンティオキア)、「乱暴を働い」たり(イコニオン)
するにとどまらず、「石打ちの刑」を執行したのです。
 「石打ちの刑」は、律法で定められた正式の死刑の方法です(レビ記24:10
〜16)。安息日を犯したり(民数記15:35)、神の名を汚したり(レビ24:16)、
偶像礼拝を行ったり(申17:5)、律法上重大な犯罪を行った際に執行される
処刑方法でした。彼らは、パウロを、明確に「神に背く者」と断定し、そして、
パウロを「石打ちの刑」に処したのです。
 もしも、パウロがこのまま死んでしまったとしたら、パウロは「神のみ心に
そむく者」であったことになってしまいます。「死んでしまったものと思って」
と19節に記されていますが、死刑執行者が、処刑者の死を確認しない訳があり
ません。私は、本当に息絶えてしまったのだろう、と考えています。ですから、
パウロが「起き上がった」ということは、ただ単に、「息を吹き返した」、す
なわち仮死状態から回復した、ということではなく、まさに「起き上がった」、
この表現は「復活」について使われる表現です、復活したのではないでしょう
か。神は、単に「奇跡」を示されただけではありません。パウロのなすこと、
伝えることが、「神に背くもの」などでは全くなく、神のみ心そのものである
ことを自らお示しになられたのです。ゆえに、パウロらは、この出来事を経て、
単に癒しを与えられたばかりではなく、神の「お墨付き」をいただいたのです。
これから、ますます確信をもって伝道に励むこととなります。
 さて、デルベ(リストラから東南東へ約100キロ)での伝道については、そ
の行き帰りの困難さ、そして初めての地の伝道での困難さにも拘わらず、ルカ
は一切触れていません。なぜでしょうか。何の成果も得られなかった、ないし
はとても書けない大失敗があったからでしょうか。そうではありません。20:4
によれば、ガイオとテモテという二人の人物がデルベの教会の出身者であった
ことが分かります。ガイオについてはそれ以上の詳細は知られていません。が、
テモテについては、パウロの助手を務めたテモテに違いありません。あれ、テ
モテはリストラの出身だったのでは(16:2)、と思われるかもしれませんが、
よく読むと、「リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い」人であったよ
うです。出身はデルベだったのです。こんな立派な人物を輩出する教会が形成
されたのに、なぜデルベ伝道の記録が記されていないのでしょうか。

(この項、続く)



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