2016年01月10日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第38回「使徒言行録14章8〜20節」
(13/7/7)(その3)
 (承前)

 「これは神の業としか思われない」という業を目の当たりにした時、ユダヤ
人だったら、ユダヤ人ではなくとも、一神教の伝統のあるところでは、「この
人(その業を行った人)は神からの使者だ」と考えることでしょう。ところが
ギリシア人はそうは考えなかったのです。その業を行った「人」が「神」であ
る、と考えたのです。ですから、バルナバがゼウス、パウロがヘルメスになっ
てしまったのです。多々ある神々の中でなぜ「ゼウスとヘルメスなのか」と疑
問に思われた方もいらっしゃることでしょう。それには、この地方独自の言い
伝えがあるのですが、話が横道にそれてしまいますので触れません。ともかく
二人が神にされてしまったのです。その上、このギリシアの宗教的風土の中で
ではありますが、信仰深い人々は、「犠牲をささげる」用意までしてしまった
のです。
 多分ここまでのプロセスは、リカオニア方言をもって進められてきたので
しょう。知らないうちに神にされそうになっていた二人は事の次第を知って
ビックリ仰天いたします。こういうケース、ギリシア人は「善いことをした」
と思っているかもしれませんが、一神教の人はどうとらえるか。とんでもない
「冒涜」です。「冒涜」そのものも例外なく死罪ですが(レビ記24:15など)、
「冒涜」を知った場合も放っておいてはいけません。サンヒドリン規則7:5に
よれば、冒涜の証拠が上がった時、「裁判官は自分の足で立ち、衣を裂き、そ
してそれをつくろってはならない」と決められていました。パウロらは、この
サンヒドリン規則に従って、冒涜を知らせ、しかし、知らずに犯した異邦人に
死罪を宣告するのではなく、諭しました。それが、15〜17節のパウロによる小
説教です。
 要点は、「唯一なる神を畏れなさい。そして、神の恵み、それは雨、実り、
食物という形で示されているが、神の恵みを覚え、立ち帰りなさい」というこ
とでした。いけにえを止めるという具体的な行為と結びついたメッセージでし
たので、人々は罪に気づいたことと思われます。20節に「弟子たち」の存在が
記されていますので、使徒言行録においては「弟子たち」とは明らかにクリス
チャンのことですので、この地に教会は設立され、リストラでの伝道は成功裏
に終えることができたのです。
 しかし、このリストラでの出来事は、異邦人伝道においてどのような意味を
持った、そして持つのでしょうか。
 実は、リストラでの伝道は、異邦人伝道の3つの課題の内第三、「異邦人伝
道に当たっては、何よりも、イエス・キリストご自身が示され、語られる必要
があること」にかかわっているのです。が、「いや、今日のテキストでは、イ
エスの「イ」の字も出てこないではないか」と反論、疑問に思われる方もい
らっしゃるのではないでしょうか。が、パウロの癒し、そこには直接には「イ
エス」の名は出てきませんでしたが、それは神による癒し、イエスによる癒し
でした。そして、「何よりも神を畏れるように」とのメッセージは、山上の説
教に明らかに見られるイエスのメッセージそのものです。イエスは神を最大限
に畏れられたからこそ、十字架にかかられたのです。
 ユダヤ教的伝統、一神教的伝統の希薄なところでは、伝道は、「しるしと不
思議な業」に頼る部分が多くなることでしょう。しかしその時必ず、誤解、神
への「冒涜」が生じることでしょう。罪が露わになるのです。がここが勝負ど
ころです。その誤解を受け止め、むしろこの機会に、罪の自覚を促し、神への
畏れ、イエスへの畏れを伝えるのです。その時、伝道はあらぬ方へ脱線するの
ではなく、必ず多くの実りが与えられることでしょう。
 19〜20節のパウロの危機、そしてパウロに敵対するユダヤ人グループの存在
については、次回のテキストと合わせて触れることといたしましょう。

(この項、完)


第39回「使徒言行録14章21〜28節」
(13/7/14)(その1)

21〜23節「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リ
ストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、
『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と
言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのために教会ご
とに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に委ねた。」

 本日は、パウロが、その第一次伝道旅行を終えて、帰り道に何をしたか、そ
して、シリアのアンティオキア教会に帰って何をしたか、がテーマです。しか
し、先週、リストラでの最後の出来事について触れることができなかったので、
19節、20節をもう一度読んで、先週までのところを振り返るところから始めて
まいりましょう。

19〜20節「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって
来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、
町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起
き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かっ
た。」

(この項、続く)



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