2016年01月03日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第38回「使徒言行録14章8〜20節」
(13/7/7)(その2)
 (承前)

 で、そうなった、つまりイコニオン伝道が失敗であった原因ですが、先週私
は、イコニオンの非宗教的風土をあげました。そもそもユダヤ教自体が真面目
に、真剣には信じられていなかったのではないか、現世利益として、あるいは
付き合い、そういった原因を想定いたしました。そうすると、真面目な説教は
通じにくいですわね。パウロ自身は極めて真面目なユダヤ教徒で、「律法主義
では救われない」ということが分かって改宗したわけですが、そんなに突き詰
めて宗教に精進した経験など、実は誰も持っていなかったので、福音の素晴ら
しさを説いても、説かれても、なかなか通じなかった、というわけです。
 しかし、それに加えて、パウロの第一伝道旅行も、小アジアに入って二つ目
の伝道地に入りました。最初は、「パウロはいったい何をするのだろうか」と
見守っていた、ユダヤ教の反対グループが、アンティオキアでの伝道を見てパ
ウロを敵と見定め、反対運動を組織的に展開するようになった、ということも
考えられます。
 いずれにせよ、イコニオンでの伝道は「失敗例」の部類に入るわけですが、
伝道者の側が、パウロのように「ユダヤ教との違い」を体験的に深く理解して
いることは絶対に必要なのですが、「その説教をそもそも聞く気のない」連中
の存在、という事態に直面して、もう一歩手前まで下がって、つまり、ユダヤ
教、キリスト教以前、そもそも「神を畏れる」ことをバーンと迫る、そういっ
た伝道がまず必要なのではないか、という課題を積み残して、二人は次の伝道
地へと歩を進めたわけであります。
 そしてまさにその期待にこたえる形で、もちろんルカの編集かもしれません
が、リストラでの伝道があったわけです。
 ちなみに、巻末の地図7で見ていただければわかるとおり、リストラはイコ
ニオンから南南東へ30キロ、今は廃墟となってしまっている町です。が、後に
パウロの助手となったテモテの出身地でもあります(16:2)。この町でパウロが
どのような伝道方法をとっていたのか、よく分かりません。リストラは廃墟の
規模からして当時も大きな町ではありませんでしたから、そもそもユダヤ人が
住んでいたのか、ユダヤ教のシナゴグがあったのか、よく分かりません。ゆえ
に、シナゴグでの説教から伝道を始めた、という可能性は低いのです。では、
どんな方法? 路傍伝道かもしれません。私はその可能性が高い気がしますが、
いずれにせよ、今日の物語に「この町のユダヤ人」は登場せず、異邦人だけが
ともかくパウロの話をよく聞いていたようです。そんな日々に起こったある一
つの出来事です。まずその出来事の内容から入ってまいりましょう。
 リストラに「足の不自由な男」がいました。この男の症状は要するに生まれ
つきであって、その困窮は窮めて深刻なものでありました。その人が、パウロ
の話を聞くうちに「信仰」神に対して頼る気持ちの意味でしょう、が育ってき
まして、そこで「癒し」が成されました。パウロがしたようですが、あくまで
も神が主体です。3章6節のペトロの癒しの場合のように「イエス・キリスト
の名によって」という言葉は入りませんでしたが、「自分の足でまっすぐに立
ちなさい」はエゼキエル書2:1のエゼキエルへの神の指示と一緒です。明らかに
「神の指示」です。パウロはここで「神の業」をとりついで見せたのです。
 ところが、この「しるしと不思議な業(字義どおりには「驚き」)が、敬虔
なユダヤ人とはまた違った意味で「信仰深かった」異邦人に、ユダヤ人からす
ると、びっくりするような反応を引き起こすこととなりました。

11〜18節「群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言
で、『神々が人間の姿をとって、私たちの所にお降りになった』と言った。そ
して、バルナバをゼウスと呼び、またおもに話す者であることから、パウロを
ヘルメスと呼んだ。町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで牡
牛数頭と花輪とを運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げよう
とした。使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服をさい
て群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで言った。『皆さん、なぜ、こんなことを
するのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたが
たが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福
音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあ
るすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての人が思
い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神はご自分のことを証し
しないでおられたわけではありません。恵みを下さり、天からの雨を降らせて
実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっ
ているのです。』こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げよう
としているのを、やっとやめさせることができた。」

(この項、続く)



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