2015年12月27日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第37回「使徒言行録14章1〜6節」
(13/6/30)(その3)
(承前)

 パウロは、イコニオンでは「バルナバも」と記されていますが、アンティオ
キアのときと同じく、イコニオンでもユダヤ教のシナゴグで説教するところか
ら伝道を始めました。しかし、聴衆の反応は違っていました。心が揺り動かさ
れなかったのです。だから、「永遠の命への道が絶たれるなんて、とんでもな
い」と必死に二人を否定しようとするデイオーコーの迫害は起きなかったので
す。起こった迫害は、ただの意地悪、カコオーの迫害だけでした。ですから二
人は、なおも踏みとどまって、「福音」をきちんと伝えねばならなかったので
す。心が揺り動かされるまで…。そして、それには時間がかかったのです。
 そして、第二の問題に入ります。なぜ、二人が「しるしと奇跡」による伝道
を行ったか、ということです。それは、相手が宗教的感覚において鈍い人、宗
教心が希薄な人の場合、いわゆる「言葉」だけによる伝道、旧約聖書から解き
明かす、というだけでは、心に届かないのです。「しるしと奇跡」をもって驚
かせるところから出発せざるを得ないのです。これは想像でしかありませんが、
イコニオンのユダヤ人は、ユダヤ教徒ではあっても、不真面目な信徒、「律法
の義」を熱心に追い求めたことなどなかった人たちだったのかも知れません。
 パウロとバルナバは苦労したことでしょう。しかし、ようやく「迫害」らし
きものが起こり、しかし、それは二人に事前に察知されてしまう程度のもので
したが、ようやく、二人はこの町を去ってもいいな、という状況に到達した、
というわけです。
 しかし、それにつけても、イコニオンの記録には、教会形成をにおわせる文
が全くないことが気になります。もしそうだったとしたら、教会形成が叶わな
かったとしたら、イコニオン伝道は失敗であった、という結論を、私たちは導
き出さざるを得ません。
 そして、パウロたちが用いた「『しるしと奇跡』」による伝道」、という方
法ですが、こちらの方法による伝道も中途半端なものに止まらざるを得なかっ
たのではないでしょうか。
 今、ピシデイア州アンティオキアの伝道以来、パウロは、異邦人伝道の第二
の課題、「福音をユダヤ人に対してばかりでなく、ユダヤ教の伝統を踏まえて
さらに異邦人に語ることのできるか」に取り組んでいます。そして、イコニオ
ン伝道は、この第二の課題達成が、実は大変に困難なことであることを、二人
に、そして私たちに知らしめる結果となりました。しかも、それに代わる伝道
方法も確立されていない。
 現代日本の教会も、宗教心の全くないところでの伝道に四苦八苦しています。
どうしたら、道が開けるのか、使徒の取り組みにさらに注目してまいりましょ
う。

(この項、完)


第38回「使徒言行録14章8〜20節」
(13/7/7)(その1)

8〜11節「リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、
まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。
パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、『自分
の足でまっすぐに立ちなさい』と大声で言った。すると、その人は躍り上がっ
て歩きだした。」

 先週は、イコニオンでの出来事を学びました。イコニオンという町がどうい
うところにあるか、と言えば、それは、聖書巻末の地図7を見てください。小
アジア、今のトルコの内陸部です。ここでの伝道の状況、結果は、その前のピ
シディア州のアンティオキアでの伝道とずいぶん違っていました。ここでもパ
ウロはアンティオキアでの場合と同じく、ユダヤ教の会堂に入って説教をする
ところから伝道を始めました。そして、多くのユダヤ人や異邦人、ギリシア人
の信じる者が起こされました。ここまではアンティオキアでの場合と一緒です。
しかし、ユダヤ人の半分から起こってくるパウロの説教に対する反発、それは、
パウロが律法主義を否定しているのですから当然のことです。が、それがアン
ティオキアでの場合とどうも違うのですね。アンティオキアでは、パウロの説
教をともかく聞いて、それで心動かされて、でもやっぱり自分の信じていると
ころとは違うな、というところから起こってくる「迫害」でした。イコニオン
の場合には、この人々は、鼻からパウロの説教を聞く気がなかったようです。
それですから、起こったことは、ただの「悪意による迫害(カコオー)」でした。
それで、パウロらは逆にファイトを燃やして、イコニオンでは長く伝道したの
です。「しるしや不思議な業」をも用いて、です。でも、短い記事ですので、
ルカが省略した、という可能性がないわけではありませんが、教会が形成され
た形跡がありません。イコニオンの伝道は、結果としてみると、失敗だったの
です。

(この項、続く)



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