2015年12月20日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第37回「使徒言行録14章1〜6節」
(13/6/30)(その2)
(承前)

 少し長く、前々回、前回の要約をいたしましたが、本日は、そのピシディア
州のアンティオキアから東南東へ100キロ強、行ったところにある、イコニ
オンでの伝道の報告です。イコニオンという町は、この地方の中心都市で、パ
ウロの時代には、時の皇帝クラウディウスの名前を冠することを許され、「ク
ラウディコニウム」とも呼ばれていた、大きな町だったようです。もちろん、
寄留のユダヤ人も住んでおり、ユダヤ教のシナゴグがありました。そこでの伝
道の記録、ということなのですが、この記録は大変短いものです。さらに内容
的にも、ピシディア州のアンティオキアでの出来事と同じ経過をたどっている
かのように見えます。一見、記録としてはともかく、新たなメッセージはない
かのように見えるのですが、どうなのでしょうか。2節以降、最後まで読んで
細かく見ていくことといたしましょう。

2〜7節「ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟
たちに対して悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼
みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、そ
の恵みの言葉を証しされたのである。町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の
側に、ある者は使徒の側についた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になっ
て二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、二人はこれに気づいて、
リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。
そして、そこでも福音を告げ知らせていた。」

 この報告を見まして、一見、前述のアンティオキアでの伝道と同じように見
えるかもしれないのですが、よく読みますと、二点ほど異なるところがあるの
に気づくのであります。
 第一は、「迫害」が起こった、ユダヤ人が異邦人を扇動しての迫害が起こっ
たにも関わらず、パウロはそこに長くとどまり、伝道を続けたことです。アン
ティオキアでは、斯くのごとき迫害が起きたら、二人はすぐに去って行ってし
まいました。
 第二は、その長く滞在している間、パウロとバルナバはどのような伝道方法
をとっていたか、という問題です。シナゴグで語ることはもうなかったように
見えます。そして街頭だとして、だとすると、かなり「しるしと奇跡」に依存
する伝道をしていた、と考えられるのです。この伝道方法の効果は、そしてど
う評価されるのか、そこが問題です。
 それでは、第一の問題から取り上げることといたしましょう。
この相違点は、実は「迫害があったのに、なぜとどまったのか」という疑問点
でもあります。なぜなら、ルカ10:10で、イエスは弟子たちに「迫害にあった
ら、さっさと町を出て行くように」と教えておられるからです。パウロとバル
ナバは、アンティオキアではこの主イエスの指示に従っているのに、イコニオ
ンでは、一見したところですが、なぜこの指示に従わなかったのでしょうか。
 この問題を解決するために、ある学者は、3節の「それでも」と訳されてい
る語に注目します。原語に戻すと、「メン・ウーン」でして、「それゆえ」と
いう意味です。だとすると、3節は1節にすっきりとつながるのではないか、
というわけです。つまり、こうなります。
 「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って
話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。それゆ
え(それでも)、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。
主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされ
たのである。ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、
兄弟たちに対して悪意を抱かせた。」
 どうです? すっきりするでしょう。しかも、疑問点解消です。
しかし、「理解不可能な点を相手のせいにする」ことは、現代人の悪い癖、傲
慢でもあります。ルカは、たとえ私たちには理解不能であったとしても、「迫
害が起きた」→(それゆえ)「とどまって宣教した」と言っているのです。
 とは言え、事には必ず原因、理由があります。ではなぜ「迫害が起きた」→
(それゆえ)「とどまって宣教した」なのか? その理由を解明するカギは、
2節の「悪意を抱かせた」と訳されている語にあります。原語は、先週の説教
で触れたばかりの語、12:1では「迫害する」と訳されている「カコオー」とい
う語なのです。しかも、「カコオー」の迫害は、「デイオーコー」の迫害と
違って、宗教的熱心から出たものではなく、ただの「意地悪」なのでした。要
するに、イコニオンでの迫害は、アンティオキアのときの迫害と異なって、た
だの「意地悪」であったため、いや「意地悪」であったから、パウロらは長く
とどまって伝道したし、伝道することができたのです。

(この項、続く)



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