2015年12月13日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第36回「使徒言行録13章44〜52節」
(13/6/23)(その3)
(承前)

 「なんて意地悪な」と思われるかもしれませんが、事はそう単純ではありま
せん。ここで言う「迫害」という語には注意が必要です。これは、ローマの信
徒への手紙の講解説教でも申し上げたことがあるのですが、「迫害する(デイ
オーコー)」という語には、「迫害する」という意味と同時に「熱心に追い求
める」という意味があるのです。実際パウロは、ローマの信徒への手紙9:31で、
律法の義を追い求めるイスラエルの有様をこの語で表現しています。ローマ9:31
「しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていた(デイオーコー)のに、そ
の律法に達しませんでした」とあるとおりです。よって、ここで言う「迫害」
は、「迫害」は「迫害」でも、宗教的熱心から来る「迫害」なのです。使徒言
行録でもこの「デイオーコー」という語は「迫害する」の意味で、他に2回用い
られていますが、いずれも、宗教的熱心から来る「迫害」について述べられて
います。すなわち、6:52「預言者を迫害したイスラエル」、そして9:2「イエ
スを迫害したサウル」です。12:1のヘロデの「迫害」は「迫害」は「迫害」
でも、ただの意地悪ですから、「カコオー」という別の語が用いられています。
要するに、パウロの説教が、実はそれだけユダヤ人の心を揺り動かし、ユダヤ
人はそれに対して「迫害(ディオーコー)」という反応を示したのです。
 パウロの説教の何がユダヤ人の心をそんなにも揺り動かしたのでしょうか。
それは、明らかに「律法の義」を否定したということです。ユダヤ人が「律法
の義」によって「永遠の命」に至る道をきっぱりと閉ざしたからです。それゆ
え、ユダヤ人は真剣に「迫害」をしたのです。
 パウロの説教がそのような説教であったことは、同じ説教を聞いた異邦人の
反応からも明らかです。異邦人は、パウロの説教を聞いてやはり心を揺さぶら
れ、パウロの言葉を「主の言葉」として受け止め、喜び、賛美しました。「律
法の義」が否定された、ということは、「信仰の義」が語られていたというこ
とだからです。そして「信仰の義」によって、それを受け容れる者は、「永遠
の命」に至ることが告げられ、異邦人は、今まで閉ざされていた「永遠の命」
に至る道が開かれたことを知って、大喜び、欣喜雀躍したのです。
 ピシディア州アンティオキアにおける異邦人伝道は、追放という形で終わっ
てしまいました。しかし、パウロは「異邦人伝道の三原則」の第二、「福音を
ユダヤ人に対してばかりでなく、ユダヤ教の伝統を踏まえてさらに異邦人に語
る」という使命を立派に果たしました。それゆえ、パウロたちは去りましたが、
そこに「弟子たち(51節)」の群れは確かに残り、つまり教会が形成されたの
です。パウロが語って、そして教会が形成される、という「異邦人伝道の型」
がここにおいて初めて形成されたのです。これ以後、異邦人伝道においては、
「異邦人伝道の型」に従って伝道が、そして教会形成が進められていくことと
なります。
 わたしたちも原点に返って、御言葉に立つ、しっかりと立つ教会を形成して
いきましょう。

(この項、完)


第37回「使徒言行録14章1〜6節」
(13/6/30)(その1)

1節「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入っ
て話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。」

 過ぐる二週は、ピシディア州のアンティオキアでの第一伝道旅行の様子を学
びました。パウロとその一行は、まず最初にユダヤ教の会堂に入り、説教をい
たしました。実際に説教をしたのはパウロです。
 が、パウロの説教は、ユダヤ教に沿うものではなく、旧約聖書に基づきなが
ら、しかもユダヤ教を否定するものでした。すなわち、律法の義を否定し、信
仰の義を説いたのです。しかし、それにもかかわらず、いや、それがゆえ、ユ
ダヤ教徒そしてシンパからなる聴衆に大きなインパクトを与えたのです。次の
安息日にも説教をするように、との要請を受けました。
 次の週、書かれていませんが、パウロは同じ趣旨の説教をしたことでしょう。
ところが、今度は町の反応が真っ二つに分かれました。パウロのメッセージが
 理解されてきたからでしょう。
ユダヤ人にとっては、永遠の命に入る道筋であると信じてきた「律法の義」を
否定するゆゆしきメッセージです。そこで、迫害(熱心さの故の迫害)に転じ
ました。熱心ですから、迫害のためなら、何でも致します。
 一方、異邦人にとっては、パウロの説く福音が徐々に理解されるにつれ、
「これは素晴らしいメッセージだ」という感動が広がってまいります。これま
で、「異邦人である」というただそのことだけのゆえに、永遠の命への道が絶
たれていたところが、「信仰の義」によって、その道が完全に解放されたから
です。そのことに気付いた異邦人は欣喜雀躍、躍り上がって喜び、信仰に入り
ました。受洗しました。救いの確かな契約の内に入れられたのです。結果的に
は、迫害勢力の方が強く、一行はその町を去らざるを得なくなりますが、そこ
に確かに教会は形成されたのです。

(この項、続く)



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