2015年10月18日
〔使徒言行録連続講解説教〕
第33回「使徒言行録12章20〜25節」
(13/6/2)(その1)
最初に今日の物語の骨格を、テキストから読んでおきましょう。
20〜23節「ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そ
こで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従プラストに取り入って和解を願
い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。定められた日
に、ヘロデが、王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、
『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使が
ヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食
い荒らされて息絶えた。」
いつものように、物語の経過をたどるところから始めてまいりましょう。
二頭時代のエルサレム教会の困難の続きです。AD42年ないしAD43年のことで
すが、当時のユダヤの王、ヘロデ・アグリッパ王による教会への迫害が突如発
生しました。正確な理由は定かではありません。この迫害はそれまで教会が経
験したことのない厳しいものでして、なんと、あの12使徒のひとりのヤコブが、
船で網を繕っているところを召し出されたヤコブ、そしてのちに、兄弟ヨセフ
と共にイエスの下に進み出て「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人を
あなたの右に、もう一人を左に座らせてください」とお願いして、顰蹙を買っ
たあのヤコブが突如殺害されてしまったのです。そう言えば、ヤコブは、その
無理なお願いをした時、イエスから「このわたしが飲む杯を飲み、このわたし
が受ける洗礼を受けることができるか」と問われて、「できます」とわけもわ
からずに答えてしまったのですが、今になって、実際にそのことが起こってし
まったのでした。
とは言え、迫害は教会の存続を脅かすものです。ペトロまでも捕えられて、
エルサレム教会は存亡の危機に立たされるのであります。ところが、ここから
先は先週の所ですので詳細は省略しますが、奇跡が起こり、なんとも厳重な、
あまりにも厳重な監視下に置かれていたペトロが解放されてしまうのです。
祈っていた教会の人々は大喜びし、記されてはいませんが、主の御名を賛美し
たことと思います。が、まだ追加迫害があるかもしれません。ペトロは「そこ
を出てほかの所へ行った(17節)」すなわち、「身を隠した」というところで先
週の所は終わっていました。
が、18節、19節の後日談について、先週は触れることができなかったので、
まず、そこにふれることから始めてまいりましょう。これは、ヘロデ側の出来
事ですが、まず第一に、ペトロがいなくなった獄屋では大騒ぎになり、ヘロデ
は「番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように」命じた、ということです。
細かいことですが、「死刑にする」と訳されている部分、原語(アガゴー)は、
「(法廷、あるいは獄、あるいは刑場へ)連れて行く」という意味の語であり、
「罰を受けるために連れて行かれた」ことは確かとしても、番兵たちが「死刑
になった」かどうかは断定できません。が、いずれにしても、気の毒なことに
番兵たちが処分されてしまいました。本来はヘロデの問題だったのです。
ヘロデ自身は、と言えば、ユダヤから、祖父のヘロデ大王が造った都市、カ
イサリアに下って行って、そこに滞在していました。理由は定かではありませ
ん。今日の物語はそこから始まります。
どれくらいの時がたったのか、これも定かではありません。が、「迫害後た
だちに」というのが今日の物語の一つのポイントでしょうから、長くても1年
以内のことでしょう。後で述べるように、今日の出来事については、聖書外資
料においても詳しい記述があり、AD44年に起こった出来事とされています。だ
とすると、ペトロの捕縛、つまり迫害が実は44年だったのかもしれません。い
ずれにせよ、迫害後まもなく、事件が起きました。
それでは、事件の詳しい経過を見ていくことといたしましょう。なお、この
事件については、ヨセフスの『古代史』の中で、かなり違った記述ではありま
すが、記録がありますので、その都度触れてまいります。
使徒言行録の物語によれば、事件の背景となった出来事は、ヘロデとティル
スとシドンの住民との対立でした。ティルスとシドンの地方とは、マルコ7章
によれば、イエス様もお訪ねになられたところで、かつてはダマスコの領地で
したが、今(使徒言行録の時代)はフェニキアの地です。その対立の原因は、食
糧供給―旧約の時代から、ユダヤはフェニキアに食糧を供給してきた(列王記
上5:23など)―上でのトラブルですが、どんなトラブルかは、正確なところは
不明です。ともかくそれで、ヘロデは「ひどく腹を立てていた」のです。とは
言え、原語を「戦争を仕掛けていた」という意味にとることはできませんので、
ご安心を。経済封鎖であったと思われます。それで、ティルスとシドンの住民
が和平を願い出て、そして侍従プラストの取り計らいによってそれが叶った、
という出来事が事件の背景にあった、というわけです。その出来事を祝うため
に「祝賀行事が開催されることとなった」という一文を補って20節から21節へ
移行することとなります。
(この項、続く)
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