2015年10月11日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第32回「使徒言行録12章6〜19節」
(13/5/12)(その2)(承前)

 出エジプトの時、主が「エジプト中の初子を撃つ」というみ業をなされたの
は「その夜」でした。この対応は、原語に戻しますとより一層明らかとなりま
す。次に7節「急いで起き上がりなさい」の部分、出エジプト記12:11を思い起
こさせます。主なる神は、出エジプトの民に「急いで」出発するよう促しまし
た。さらに8節「帯を締め、履物を履きなさい」との天使の指示は、やはり出
エジプト記12:11「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にして」という、過越の食
事の食べ方の指示に対応します。そして、最後に、解放されたペトロの独白
「主が天使を遣わして、…わたしを救い出してくださった」は、ダニエル書
3:28、ネブカドネツァル王によって燃え盛る炉の中に投げ入れられ、しかも救
い出された3人のユダヤの義人の独白と重なるのです。以上、ルカはこの記述
を通して、事実をより正確に述べることよりも、旧約の二つの出来事との共
通性を伝えることに力を注いでいることが分かるのです。なぜでしょうか、
それは、出エジプトの出来事、そしてネブカドネツァル王による迫害からの
救出が、いずれも、イスラエルの民にとっては到底抵抗することが叶わない
と思われた巨大な国家権力からの、神による解放だったからです。ここで何
が起こったのか、正確に再現することはできません、しかし、ここで確かに
国家権力による迫害からの解放があったということです。絶体絶命のピンチ
に神による解放があったこと、つまり、この出来事は神が世界の本当の支配
者であることが示された出来事であった、ということなのです。

さて、後半へ移りましょう。

12〜19節「こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの
家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。門の戸をたたくと、
ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあま
り門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っている、と告げた。
人々は、『あなたは気が変になっているのだ』と言ったが、ロデは本当だと言
い張った。彼らは、『それはペトロを守る天使だろう』と言い出した。しかし、
ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非
常に驚いた。ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してく
ださった次第を説明し、『このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい』と言っ
た。そして、そこを出てほかのところへ行った。夜が明けると、兵士たちの間
で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペト
ロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするよう
に命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。」

 それでは、後半部分を私たちも急いでまとめることといたしましょう。
 教会の危機、ペトロの捕縛に直面して、教会では熱心な祈りがささげられて
いました(12:5)。しかし、何のために、どのような祈りがささげられていたの
でしょうか。ペトロが解き放たれるように祈りがささげられていた、と考える
のが、私たちの常識です。しかし、そうだとすると、ペトロが実際に解き放た
れて帰還したときの、彼らの対応―@そもそも信用していない(13〜16全体を
通して)、Aあまりの驚き(14)、Bロデが「本当だ」と言い張っても、全然信
用しない、ペトロが解放された、という結論だけは出てこない(15,16)―が説
明がつきません。もし、ペトロの解放が祈られていたとしたら、ペトロの解放
に大喜びするはずであって、そこまで頑固にペトロの解放を否定しはしないの
ではないでしょうか。
 ではエルサレム教会のメンバーは何を、何のために、祈っていたのでしょう
か。まず、12:5ですが、ここでは原文は「彼のために」と訳されている通り、
男性名詞の代名詞が用いられており、ペトロ以外のことのために祈っていた、
と解釈する余地はありません。ペトロのために祈られていたことは確かです。
しかし、ペトロの何が祈られていたのでしょうか。ペトロの絶対的な窮地に対
して、「それでも教会が存続するように」さらには「ペトロが死に際して安ら
かに一生を終えるように」と祈られていた可能性があります。かなり高いです。
実際、これらの説を学説として唱える学者がいます。もし、そうだとすると、
教会は、もちろん出エジプトの出来事を知らない訳はありませんが、その出来
事が、イスラエルに対してだけでなく、新しいイスラエルである教会に対して
も起こる、神によって用意されている、ということは信じていなかった、とい
うことになります。それゆえ、ペトロの本当の解放によって、教会は、イスラ
エルにおける出エジプトに匹敵するくらいの大きな「神の出来事」を体験した
のです。神は教会を救ってくださったのです。それも予想だにしない恵みを
もって。エルサレム教会は、最大の試練の中で、最大の恵みを経験したのでし
た。
 しかし、まだ問題は残っています。ヘロデはまだ迫害の手を緩めたわけでは
ありません。この問題は、18節、19節を伏線として、次回に引き継がれること
となりました。さあ、どうなることでしょうか。再迫害はあるのでしょうか。

(この項、完)



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