2015年09月27日

〔使徒言行録連続講解説教〕

第31回「使徒言行録12章1〜5節」
(13/5/5)(その2)
(承前)

 まず、「ヘロデ王」です。ご推察のとおり、このヘロデは、イエス誕生の時、
マタイによる福音書によれば、イエスを殺そうとしたあの「ヘロデ大王」では
なく、イエス在世中にバプテスマのヨハネの首をはねたとされるヘロデ・アン
ティパスでもありません。ヘロデ大王の孫、ヘロデ・アンティパスの(異母)
おいにあたるヘロデ・アグリッパ(生年不詳、紀元44年没)です。使徒言行録
では、ここ12章だけに登場します。25章、26章に登場するアグリッパ王とは別
人、25章、26章に登場するアグリッパ王は、12章で登場するヘロデ・アグリッ
パの息子です。
 そのヘロデ・アグリッパですが、どのような人物で、なぜ教会を迫害したの
か、できるだけ簡単に明らかにしていきましょう。そもそもヘロデ大王には、
10人の妻と15人の子がいました。その10人の妻のうち、彼が最も愛した妻が、
マカベア家の娘マリアンメでした。マリアンメには二人の息子がおり、その名
をアリストブロスとアレクサンドロスと言いました。二人とも、その名が示す
通り、ローマで、ローマ文化の中で育てられましたが、家族にねたまれ、紀元
前7年にヘロデ大王の手で殺されてしまいます。ヘロデ・アグリッパは、その
アリストブロスの子です。父親譲りのローマでの人脈を生かし、ガイウス帝
(37〜41在位)、クラウディウス帝(41〜51在位)とも知己であり、41年に、
それまで与えられていたガウランテス、テラコニテスに加えて、ユダヤとサマ
リヤの王となりました。ヘロデ大王と同じ領地を得た彼は、ユダヤをどのよう
に支配しようとしたのでしょうか。一方では、ローマでの人脈を誇り、権威を
保持しました。また一方、マカベア家の血を引くということで、ユダヤの支配
層に食い込み、その上に、律法遵守の姿勢を示して、ユダヤ教、特にファリサ
イ派の支持を狙い、完璧な統治を目指したのです。そして、実際ヘロデ・アグ
リッパの支配の時代、ユダヤは平穏でした。
 本来でしたら、「地の支配」を目指すヘロデ家にとって、キリスト教会、エ
ルサレム教会は歯牙にもかけない存在だったことでしょう。しかし、たまたま
彼がユダヤ教に媚びた、あるいは本気に信じていたかもしれませんが、がため
に迫害、それも殺害、そして殉教者を出してしまったのです。迫害とは、いつ
いかなる理由で起こるかわからずして起こるものです。「神の支配」に従おう
とする者は、そのことを肝に銘じて、備える必要があります。
 もう一方のエルサレム教会の事情ですが、使徒言行録から推測するしかあり
ません。エルサレム教会は最初は12使徒体制でスタートしたことと思われます。
(1章)しかし、2章以降、12使徒の中、ペトロ、ヨハネ、そしてここで殉教
したヤコブ以外の使徒の名は出てまいりません。この3人と、12:17〜登場する
(別の)ヤコブ、ガラテヤの信徒への手紙では、「主の兄弟ヤコブ」とされて
いますが、がエルサレム教会の指導者となったと考えられます。その中で、ヨ
ハネの兄弟ヤコブが実質的、ちょうど律法学者のような指導者だったのでしょ
う。それで狙われたのです。
 教会は、取り返しのつかない痛手を負いました。しかも、ヘロデ・アグリッ
パは、教会の象徴的指導者であるペトロにまでも迫害の手を伸ばそうとしてい
ます。しかも、その象徴的地位を貶めるような方法をもって…。エルサレム教
会は、ヘロデ・アグリッパという思いもかけない伏兵によって、まさに存亡の
危機にさらされたのであります。この危機に教会はどのように対応したので
しょうか。

4〜5節「ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡
して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、
ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげら
れていた。」

 異例なほど、厳重な警備です。そして、ペトロをただ殺すだけでなく、劇場
的効果を狙っていました。それだけ、ヘロデ・アグリッパは本気だったので
しょう。
 この絶体絶命のピンチに教会は何をしたか。恩赦嘆願運動でしょうか。政界
工作でしょうか。そのいずれでもありません。ただひたすらに祈る。教会はそ
れしかできませんでした。しかし、神にとって、教会がここで絶えてしまわな
いことが神の御心だったのです。思いもかけない方法で逃れの道を用意してい
てくださいました。その道の記録が次回です。
 しかし、権力による迫害は怖いものです。権力にとっては教会の殲滅が可能
なのです。日本のキリスト教史においては、この時のエルサレム教会のように
は事は運ばず、カトリック教会は、江戸幕府によって跡形もなく消し去られて
しまいました。祈っても、その祈りがかなえられるとは限りません。でも、そ
れでも、教会は祈るしかありません。道が開かれるのか、あるいは、開かれな
いのか、それも全く分かりません。しかし、神が大きな救いのご計画を持って
おられることは確かですから、何らかの形で神はご計画を実現なさるに違いあ
りません。とにもかくにも祈りましょう。

(この項、完)



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